賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

働き甲斐のない人には、生き甲斐もない~21世紀時代の生き方

 

 

「こういう仕事がしたい」

「ああいう働き方に憧れる」

「そんな風になってみたい」

 

 

 

あなたには、自分の理想する働く姿がありますか?

 

 

 

人が理想を作り出す所以は、

そこに自分の人生においての

強い価値を感じるからです。

 

 

 

年収1000万円プレーヤーを理想とするのなら、その人は人生においてお金に強い価値を感じています。

 


ホワイト企業に勤めることが理想ならば、その人はワークライフバランスに人生の価値観をおいています。

 


海外勤務への移住を理想としているのならば、ゆったりとした暮らし、つまり時間に大きな価値観を感じています。

 

 

 

このように、人生の価値観(生き甲斐)は人によって様々なのです。

 

 

 


一方で、どんな人にも共通していることはあります。

 

 


それは「生きるために食事をとること」です。

 

 

 

デカルト風にいうと、

「我あり、故に我思える」

 

 

考えることのない植物たちには、自分の理想はありません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/dai88/20190512/20190512085430.jpgより引用)

 

 

 

 

人間は生きなければ、理想を語ることも理想を思うことも当然ながらできない。

 

 

 

 


そして人間界では、食料を手にするためには対価として「貨幣(お金)」を支払う必要があります。

 


つまり、生きる上でお金は必須なのです。

 


そして、そのお金の多くは「働くこと」で手にすることができます。

 

 

 

わかりやすい式で表すと、このようになります。

 

 

=======
生きる=食事をとる

食事をとる=お金を得る

お金を得る=働く

=======

 


つまり、人間は生きるために働く必要がある

 

 

 


基本的には、働かなければお金は手にできないし、それではご飯は買えないし、そうなれば生きて行くことができない。

 

 

 

生き甲斐を語る上で、働き甲斐は無視することができないのだ。

 

 

 

働き甲斐を感じられる人は、生き甲斐を感じられるし、逆に生き甲斐を感じられている人は間違いなく働き甲斐も感じている。

 

 

 

 


そこで、あなたに問いたい。

 

 

 

 


「あなたの生き甲斐とは何ですか?」

 

 

 

この問いにはっきりと答えられない人は、自分の生き甲斐を理解できていない。

 

それはつまり、働き甲斐も感じられていないということでもある。

 

 

 

人生において、自分が何に最も価値をおいているのかを考えることは、自分の生き甲斐を考えることであり、それはつまり働き甲斐を得ることでもある。

 

 

 

特にモノが飽和して豊かさが溢れかえっている現代では、自分の生き甲斐から全てを考えないと、幸福度は上がらない。

 


昔のように、荒野に文明を再生させようと躍起になっているわけではないから、働き甲斐を生き甲斐にするのは難しい。

 

 

 

鶏と卵論的に言えば、現代では生き甲斐を前提とした上で働き甲斐を求めなければ、自分を幸せにすることはできない。

 

 

 

 


日本の教育過程では、働き口を探す機会は存在するのに、生き口を探す機会は存在していない。

 

 

 

つまり、多くの人が生き甲斐を見つける前に働き甲斐について考えさせられているのだ。

 

 

 

まさに、平らでない土地に建物を立てようとしているようなものだ。

 

 

 

 


これについては、誰が悪いというのはない。

 

 

 

個人が生き甲斐を考えないのも悪いし、

企業が働き甲斐だけを提供しようとしているのも悪いし、

日本の就活制度も悪い。

 

 

 

けれど、責任転嫁をしていたって生き甲斐を誰かが提供してくれるわけではないし、勝手に働き甲斐を感じられる職場で働けるわけでもない。

 

 

 

自ら働き甲斐を求めて、そのために生き甲斐を見つけなければならない。

 

 

 

 

 

 

 現代人(人間)の仕事は、自分の生き甲斐を見つけることから始まると言っても過言ではないだろう。

不安との戦い方〜「未来・現在・過去」時間軸の捉え方ですべてが変わる

「いずれは起業したい」

ベンチャーで若いうちから成果を出したい」

「豊かな暮らしがしたい」

 

 

上昇思考の彼は、

自らの成功を願って

新卒でベンチャー商社に入社した。

 

 

営業経験はなかったが

なんでも卒なく熟せる彼は

入社2ヶ月目にして

営業成績が評価され

上級商材部門に異動した。

 

 

このまま行けば

兼ねてからの望みが

早々に叶う可能性はあった。

 

 

だが、いつからか

彼の歯車は狂い始めた。

 

 

 

成長意欲の強い彼は

忙しい仕事の傍ら

毎朝就業開始より

1時間早く来て

カフェで哲学していた。

 

 

そんな日々はもうすぐ

4ヶ月経とうとしている。

 

 

そんな中

日常的に思うことがあった。

 

 

「何故この会社で働いているのだろうか」

 

 

確かに上昇思考はあったが

ここにいる上司のように

周りを押し退けてでも

上を目指そうという

気概はなかった。

 


 

基本的には

出世している上司を見て

会社で成功している人材を

把握することができるが、

僕はここの上司を

あまり好いていない。

 

 

確かに良いところもあるが

それ以上に悪い面が見えすぎているのだ。

 

 

その好かない姿に自分がならないと

もっと昇進できないのかと思うと

この会社自体が合わない気がしてきた。 

 

 

そう、

 

「働く環境が合っていない」

 

 

直感でそう感じたのだ。

 

 

 

 

上司らは

顧客に対しても、社員に対しても

ただの数字という解釈しかしない。

 

 

確かに評価制度は充実しているが

それらは全て数字によるものだ。

 

 

つまり

営業で成果を挙げたものだけが

この会社では正義なのだ。

 

 

この超実力主義の会社では、 

もちろん正義になれない者は去っていく。

 

 

ちなみに4月に入社した新卒のうち

すでに3割が去っている

 

 

これはあまりに悲惨な現実だ。

 

 

しかも中には

上司に仕事をするのが辛いと

相談に乗ったその日に

退職を告げられた仲間もいる。

 

 

これは明らかに

会社に問題があることを証明している。

 

 

そんな中で僕も

現職に疑問を持ち始め

転職活動を始めた。

 

 

しかし、始めて一週間

結果的に転職することを辞めた

 

 

その理由は単純で、

自分のやりたいことが

定まっていなかったからだ。

 

 

ジャンプする先が決まっていないのに

ジャンプしたところで

そのジャンプは不毛に終わる可能性が高い。

 

 

それならば、

次に乗り移る先を決めてから

ジャンプをし始めた方が良い

そう考えたのだ。

 

 

だからまずは今の会社で

営業スキルを身に着けながら、

自分のやりたいことを探していこう

と考えた。

 

 

 

それからの毎日の

カフェでの哲学は

「天使と悪魔の墳墓」続きだった。

 

 

「この会社に来たことは正解だ」

「この会社に来たことは間違いだ」

「ここでまず一年頑張ろう」

「今すぐやめたほうが自分のためだ」

 

 

対象的な自我がぶつかり合い、

考え事ばかりが増え

次第に疲弊していった。

 

 


そんな悩みの日々のせいか

ここ最近、体の調子がどうもおかしい。

 

 

一週間ほど前から

日常的にふらつくし

めまいはするし

時折吐き気もする。

 

 

小中高と皆勤賞だった僕だが

つい先日は会社を早退し

ついには昨日、欠勤までした。

 

 

 

もはや身体の問題ではなく

精神の問題かもしれない。

 

 

 

考え得る病は

自律神経失調症

うつ病

 

 

 

認めたくはないが、

僕にはいくつかの

うつ病の初期症状が

出始めている。

 

 

まだ医者にかかってはいないが

おそらく診断を受ければ

うつ病」と告げられるだろう。

 

 

 

しかしそんな今、

こんなことを考えている自分がいる。

 

 

 

〜今の職場で仕事をしたくないから、

うつ病になろうとしているんじゃないか?〜

 

 

 

おそらく世の中の

うつ病患者は

僕よりよっぽど

辛い経験をしているはずだ。

 

 

破滅的な労働環境に身を置くことになり

重なるストレスでうつ病を発症し

仕事ができなくなった。

そういう人が多いはずだ。

 

 

 

つまり僕と彼らとでは、

「鶏と卵論」的には

全く真逆なのである。

 

 

 

確かに僕は

今の職場環境と

体質的に合わないが

何かハラスメントを

受けたわけではない。

 

 

 

ならば、なぜ鬱の症状が出ている?

 

 

 

その理由が全くわからなかった。

 

 

 

だから欠勤した昨日

療養と合わせて哲学した。

 

 

 

その結果、

 

今の企業の不安定性

自分の将来の不安を感じてるのではないか、

という仮説が立てられた。

 


そしてそこから来る

過去の自分の決断への後悔の念が芽生え

自責を抱えすぎたのだろう。

 

 

 

確かに今の企業は不安定で

先行き不透明で心配だ。

 

 

 

けれどそれって

ベンチャーであれば当然のことだし、

このご時世大企業に入ったからといって

安定性が担保されているわけではない。

 

 

 

つまり、自分に甘えていただけなのだ。

 

 

自分に都合がいい解釈ばかり

望んでいたのだ。

 

 

 

 

 

長い未来を考えれば考えるほど、

人間の心配は強くなる。

 


なぜなら、

今という時から時間が遠いほど現実性が働かず、

不透明性ばかり強くなるからだ。

 

 

 

「バブル世代とミレニアル世代とで

どちらの方が戦争への意識が強いか」

そう聞かれたら、間違いなく前者だろう。

 

 

 

なぜなら、時間軸上では

バブル世代の方が戦時により近いからだ。

 

 

 

そして

過去と同様に未来も、

今という時から時間軸が離れるほど

正しい視線で視点で物事が見られなくなる

 

 

 

確かに

ネガティブな事象が起こった時は、

遠い未来や過去の自分のことを考え

充実している日々を想像・思い出すことが

鎮静するにあたっては正しい。

 

 

 

しかし

ポジティブな事象が起こった時に

同様の捉え方をすれば、

逆にプラスの部分が抑制されてしまう。

 

 

 

ホリエモンも口々にしているが、

「今を生きろ」とは

そういうことなのだ。

 

 

 

一週間後

一ヶ月後

半年後

一年後

二年後

十年後

 


時は今から遠ざかるにつれて

未来像が予見しにくくなる。

 


だから

未来起こるかわからないことに

くだらない心配をしているよりも

現在というまぎれもない

現実性しかない時間に集中し

生きていく方が正しい

 

 

 

 


不安への正しい対処法を知らなければ

僕のように人生の分岐点で

その不安を煽られ

詐欺に遭う可能性が高まる。

 

 

 

そのくらいに

不安という人間の幻想は厄介なのだ。

 

 

 

不安こそ、幻想だというのに…

僕は何故働いている?〜あなたは何故働いている〜

 

「年収1000万円」

「5年で部長職」

「絶世の美女と結婚」

 

 

仕事でのキャリアを通じて

実現したい夢というのは

人によって様々である。

 

そして、改めて考えると深い。

 

 

〜人はなぜ働くのか〜


https://www.motivation-up.com/whats/images/mean_ogp.jpgより引用)

 

 

 

この記事を読んでいるあなたが

もし学生でないのならば、

おそらく誰に言われるでもなく

働いているはずだ。

 

(いや、たとえ学生であっても

将来的には必ず仕事に就くだろう)

 

 

そんな社会人のあなたに問いたい。

 

 

あなたはなぜ働いている?

 

 

 

僕は今年の4月

新卒でベンチャー商社に入社した。

 

僕が入社した理由は

冒頭に挙げたような

周りの同期や上司たちの

それとは少し異なっている。

 

 

========

僕は営業が嫌いだった。

だから、あえて営業職についた。

========

 

 

これが、今の企業に入社した理由だ。

 

 

 

生まれてきてからずっと

僕には逆転の発想がある。

 

=======

・嫌いなことに挑戦する

・できないことはできるようにする

・嫌いなものも食べる

・だけど好きな食べ物は一番最後

=======

 

 

こうして僕は、自分の

欲を抑制する能力が人一倍ついた。

 

 

営業に対しても同じ考え方で、

基本的に人間が嫌いだと思っていることは

ただの固定概念で、実際やってみれば

面白さや楽しさを感じるだろうと

僕は思っている。

 

 

大学生だった、僕はそう考えたのだ。

 

 

そうして入社して2ヶ月目の月に

同じ課の同期の中で営業成績が

トップになり、それが評価され

難易度の高い商材部署へと

早くも移動した。

 

 

それからある日、一風変わった

僕の同期が会社を去った。

 

 

彼は会社への不満を露わにしていた。

 

 

自分の性分会社の(営業)スタイル

水と油だったらしく、

対峙するお客さんを

数字の1や売上でしか見ない

その考え方が嫌だったと言う。

 

 

これに関して、僕は激しく同意した。

 

 

いくらベンチャーといえど、

社員もエンドユーザーも

数字でしか考えていない

そんな姿が僕は嫌だった。

 

 

そうして僕は、転職を決意した。

 

 

 

だが転職を決意し、転職活動をした時

日本のある社会通念を知ることとなった。

 

 

正規雇用

第二新卒に任される仕事は

営業福祉機械業IT

だと言う。

 

 

正直、僕はどれをやるにしても

楽しいとは思えないと思った。

 

 

 

少し考えた挙げ句、

それならば嫌いな営業だけど、

将来的に必要になるであろうセールス力を

今の商社でつけて、

 

営業力をつけて、、

 

 

僕はどうしたいんだ?

 

 

 

改めて考えさせられた。

 

~自分のやりたい仕事は何なのだろうか~

 

 

そう、僕にはこれといった

やりたいことがなかった。

 

 

「なんの仕事がしたい?」

「営業がしたい」

「なんで営業なの?」

「営業が嫌いだから」

「営業を通して何が学べると思う?」

「セールス力」

「そのセールス力を使って何がしたい?」

「…」

 

僕は自分への4つ目の質問に

答えることができなかった。

 

 

 

だから僕は、ある決意をした。

 

 

======

やりたい仕事が見つかるまで

今の会社で営業力をつけることに

専念しよう

======

 

 

そして転職を考えてから1ヶ月間、

毎日カフェで哲学をしていて

気づいたことがある。

 

 

それは、僕には

=======

やってみたいことはたくさんあるが

やりたいことは特にない

=======

 

これは、紛れもない事実だった。

 

 

だから、おおよそ考えられることとして

僕のやりたい仕事は今後

一生見つかることはないだろう。

 

 

 

ならば、どうするか?

 

 

 

やりたいことがないのなら、

自分ができること

自分がすべきこと

誰かに求められていること

誰かを救えること

そんな仕事をしよう。

 

 

 

せっかくフェアトレードタウンを

運営しているのだから、

貧困に携わる素晴らしい仕事をしよう。

 

 

僕たちは、日本という

ご飯もお金も教育も福祉もある

こんなに裕福な国で

暮らせている。

 

 

けれど世界には

そうではない人たちが

たくさんいる。

 

 

ならば僕のすべきことは、

その貧困をなくすことだろう。

 

 

僕はそう悟った。

 

 

基本的にというものは、

社会観念や自身の経験から

生まれてくるものだ。

 

 

しかし僕の場合、

欲がほとんどないから

目標を考えるのは一苦労だった。

 

 

そして、ここまで読んで

わかっていただけたと思うが、

 

======

「want(したいこと)」のない人にも

「should(すべきこと)」や

「can(できること)」は

必ずある

======

 

 

目標がすべて「〜たい」から

決まっていると思ったが、

哲学してきた結果、

目標は「〜すべき」「〜できる」からも

生じうるということがわかった。

 

 

 

僕が今回伝えたかったことは、

僕のようにやりたいことがわからない人にも

「やるべきこと」「やれること」はあって、

それを目標にすることは、社会にとって

非常に素晴らしいことなんだということだ。

 

 

僕は、天才にはなれない変人だ。

つまり、凡人である。

だけど、自分が凡人であることを

認めたくはない。

だから、一時自分が凡人であることを認め

できることの少ないこの両手で、頭で、足で、

世界をより良いものにしていきたい。

 

もちろん僕一人の力では

こんな大きな問題は太刀打ちできない。

 

 

必ず多くの人の力が必要になる。

 

 

そうやって「〜べき」「〜できる」から

結成された組織こそ、

本物の組織だと僕は思う。

 

 

そして今の営業の経験は、

この組織作りのための

仲間集めのためのツール

大きな役目を果たすであろうと

今では思っている。

 

 

 

あなたは多様な人間ですか?それとも同質な人間ですか?~鳩の多様性~

「今の時代は多様性が大事だよね~」

「多様性がなければこれからの時代は生きられない!」

 

 

近年「多様性」という言葉が、

巷(ちまた)やSNSを通して多く飛び交っている。

そう、グローバル世界を経験した我々は

社会の様々な面を見てきたのだ。

 

そうして「個人主義」が台頭してきた

2010年代では、特にこの「多様性」に

着目した考えを持つ人が増えてきている。

 

 

職業を見れば、それは一目瞭然なはずだ。

 

前近代は「終身雇用」が絶対という観念があったので

なにか一つの道での「プロフェッショナル」が

共通観念としてあり、それ以外に何か

仕事をするということはほとんどなかった。

 

しかし近代では終身雇用体制は崩れ去り、

企業に務めながら違う職を持つ

マルチ・ワーカー」が増えてきた。

 

それは芸能人を見ていても気づけるだろうし、

何よりも副業可の企業が増えたことが

一番の要因だろう。

 

 

しかし、どうも「多様性」に関して

間違った解釈をしている人は多い。

 

 

本記事の主題は、ここにある。

 

詳しくは、本論で話していく。

 

 

 

1. 多様性とは

 

 

そもそも「多様性」を考えるに当たり、

「何においての多様性か」を

考える必要がある。

 

 

例えばダーウィンの『種の起源』のように

「生物の多様性」なのか、

それとも人間社会においての

「生き方の多様性」なのか。

 

 

「〇〇の多様性」といったように

ダイバーシティ(多様性)」を論じるためには

その前提として「ユニバーシティ(万物性)」を

定義する必要がある。

 

 

今回の例で言えば「〇〇」の部分、

つまり「生物」「生き方」の部分が

「ユニバーシティ」に値する。

 

 

「多様性」を考える以上は、

何にフォーカスしているのかという

「万物」の部分を無視してはいけない。

 

 

 

2. 生物の多様性

 

 

先ほど例に出した『種の起源

 

ダーウィンのこの著書の中には、

ある鳥類がよく例として出される。

 

 

 

その鳥とは「」だ。

https://fr.cdn.v5.futura-sciences.com/buildsv6/images/wide1920/7/d/7/7d7e7fc68d_113437_intelligence-pigeon.jpg より引用) 

 

彼によると、鳩には個体差があり

同じフォルムをしていても

各々模様が違っており、

同じ模様はないらしい。

 

 

(偶然にも僕はこの鳩が大好きで、

インスタグラムには日々見つけた

鳩の写真を乗っけて投稿している)

 

 

人間も同様で、ほとんどの個体には

 

頭があり

腕が二本あり

足が二本ある

 

なぜかはわからないが

基本的にこのデフォルトで決まっている。

 

 

 

 

すべてダイバーシティは、

ユニバーシティの中に存在する。

 

 

そして人間であれば、必ず 

 

・性別・・・男性、女性など

・人種1・・・アメリカ人、フランス人など

・人種2・・・白人、黄色人種など

・髪色・・茶髪、黒髪など

 

のいずれかに該当する。

 

 

 

3. 多様性の議論

 

 

このように物事を定義する上では、

必ず分類というのがなされる。

 

(そもそもこの「分類」のために

人間はコミュニケーションツールの

一つである「言葉」を使っている)

 

 

そして近代の多くの人が使う

ダイバーシティ」は、

基本的には以下である。

 =======

・地球に住んでいる

・人間という生物であり

・極東日本に住む

・日本人

 =======

 

ダイバーシティを語る上で

暗黙知(前提)としてこの

4項目が存在している。

 

これをわかった上で

議論を交わしているわけである。

 

 

多様性の議論をするにあたって

この前提条件を忘れては

まさに「会議は踊る、されど進まず」

になりかねない。

 

 

 

4. 日本人の多様性

 

 

多くの多様性論者が思うことは

「日本人に多様性はあるか」

というところだろう。

 

 

結論から言うと、日本人に多様性はない

むしろ、排他性のほうが強い。

 

 

日本人は、先程の定義の4項目に属さない人を

何故か寄せ付けようとしないのだ。

 

これが「日本人は排他的である」と

考えられる所以(ゆえん)である。

 

 

ちなみに日本人というダイバーシティ

地球というユニバーシティにおいて

突出しているのは「共感力」「同調力」である。

 

 

偶然か必然かはわからないが、

多様は一番遠い存在であるということがわかる。

 

 

特にわかり易い例は「教育」だろう。

全小中学生は一律な教育を受けている。

 

日本の近代教育は、個々人に対しての最適解よりも

最大公約数的な教育をしてきた結果、

限界費用は下がってはいるが

共感性が増しダイバースから遠ざかっている。

 

 

もし多様なのであれば、

生徒一人ひとりにあった

教育カリキュラムを組んで

そして勉強していくはずである。

 

(ITがそのソリューションを担う

可能性があると指摘している人もいる)

 

 

つまり日本教育は

非常に合理的になっている一方で、

多様性が必要な社会には

大きな弊害になってしまっている

ということだ。

 

 

しかも特に悪なのは

ダイバーシティ」に関する議論も

「共感前提」で行われている点だ。

 

 

最近はその共感を「いいね」という

指数で管理することができ、

多くの人が何に興味を持っているのか

という「トレンド」がわかってしまう。

 

日本人の特徴

「共感前提のコミュニケーション」

の発揮だ。

 

 

もしあなたの周りにいいねを欲しがるやつがれば

いいねをくれてやったあと、こう言ってやればいい。

 

 

「この、いいね厨」

 

 

多様性が必要な社会にとって

おそらくそういう存在は弊害となる。

 

そしていいねを欲しがる人が

インフルエンサーになれば変な

影響力を持ち始めてより

多様化への移行が難しくなる。

 

 

 

最後に

 

 

ここに綴った内容は、少し主観的だったかもしれない。

 

しかしもしあなたが「多様性」の持ち主であれば

ぼくという個体の主張とあなたという個体の主張の

何が一緒で何が違うのか

ということがわかるはずだ。

 

 

ただ、僕の場合は「多様性」の主張ではなく

「多様性の前提」の主張をしているわけで

そもそも同じユニバーシティにいないかもしれない。

 

 

多様性を論じる上で最も大切なのは「前提条件」だ。

 

 

企業であれば「ビジョン」

 

同じビジョンを持った者のうち、考え方に差異ができたとき

その時初めて「ダイバーシティ」は生まれる。

 

ダイバーシティは、言い換えれば「差異」のことだ。

 

 

色でいえば、白と黒、赤と青

これらにはすべて差異がある。

なぜなら「色」という前提条件があるからだ。

 

しかし、これが「白と人間」となった瞬間

差異は生じなくなる。 

なぜなら、比べるもの(共通項)がわからないからだ。

 

 

 

ちなみに、日本人は共感能力が高いと説明したが、

共感能力が高い人ほど「ネガティブ」である事がわかっている。

 

 

特に「痛みへの共感」は、日本であれば狩猟時代から

遺伝的に備わっている。

 

 

例えば「村」という集合体の中で

なにか悪事を働いた子どもに対して

処刑をしているシーンを見れば、

そこのいる村人には「痛み」が共有される。

そして主は、そんな村人に対して

「こうなりたくなければ言うことを聞け!」と

脅迫するだろう。

 

もちろん、このシーンには

ダイバーシティなど存在しない。

 

 

しかし、こう見ていると

昔の村制度と今の日本企業とが

類似して見えてしまう。

 

 

もしかすると、日本企業は…

あなたの敵は誰で、味方は誰?〜嫌いと好き〜

「あの人は私の味方。

でもあの人は、私の敵。」



昔からある『敵味方論』 




日常では「誰が好きで、誰が嫌いか」

そんなところから敵味方論は始まる。




そこで、今一度考えるべきこと



それは、、


「敵か味方か」を誰が判断しているか


ということだ。





無論、それは自分に決まっている。





A君に対して敵意を抱くのか

それとも仲間意識を抱くのかは


A君次第ではなく、自分次第なのだ。




「あの人は〇〇だから嫌い」

という人がたまにいるが、


それは、その人を嫌いになる

理由付けをしているだけに過ぎない。




例えば


「どういう仕事はしたくない?」

という質問に対して、大学生のt君が


「営業職」

と答えたとしよう。



そしてその理由を探るべく


「なんで営業は嫌なの?」

と追及して聞くと


「キツそうだから」

と答える。



この状況をイメージしたあなたは

もうおそらくわかっているだろうが


t君が営業職を嫌っている理由は

あまりにも不明確である。



なぜなら、やったこともないくせに

想像やイメージで毛嫌いしているのだから。



そして最も勿体ないと感じることは

営業職に就くことによって学べることを

全く学ばずに社会を生きることに

なりかねない、という「機会損失」が

生まれてしまうことだ。




ちなみにこの「t君」とは

僕のことである。(とーまの頭文字)




当時の僕の営業職のイメージは

「数字に追われ、残業が毎日続き、

したくもない会話を振らなくてはならず、

出たくもない飲み会に出なくてはならず、

暑い日も寒い日も外を駆け回らなければ

ならない、最悪の仕事」


というのが、当時の僕の営業職への

イメージだった。




そして実際、ここにあるイメージは

99%当たっていた。



たまたまこの時のイメージは当たっていた。


だが、イメージの外側にあったこともある。



そう、


「考えてもみなかったいい面があった」


のだ。



要するに、


たしかに悪い面は想像通りだったが

良い面は予想外だったということだ。




『敵味方論』で言うと、


嫌いだと思ってた奴が

意外な一面を見せて

良い奴に見えたりするのと同じだ。



「ヤンキーのゴミ拾い」

と言えば分かりやすいか。




ここからわかることは、

「人間とは、ネガティブな面ばかり見て

ポジティブな面を見損なっている」

ということだ。



これは著書『ファクトフルネス』でも

証明されていたことでもある。




人間はしばしば、自身の勝手な

線引き(イメージ)のせいで、

せっかくの良い面が見られる

その機会を損失してしまうのだ。




目の前にある事柄・事象・事実に対して、

ポジティブさを感じるのか

ネガティブさを感じるのかは



すべて自分次第だ。




ちなみに僕は、死ぬほどポジティブだ。


そしてその理由は、つい最近わかった。



それは

「嫌い・苦手・できない」ことに

首を突っ込んできたからだ。



国語が苦手だった高校時代。

現代文の点数が足を引っ張って

国公立の一次試験に落ちた。


それで余計に現代文が嫌いになった。



だけど僕は、大学に入ってからこれまで

150冊以上の本を読んだ。


本を読んで、

色々な人の考え方があることを知ったし、

結局何が言いたいのかという

自分に一番足りてなかった要約力もついた。



全ては「改善したい」という

上昇志向からきたものだ。




メタルバンドもそう。


大学に入ってボーカルをやろうと決めていて

ある時メタルバンドのサークルに顔を出して

ライブを聴いた。




雑音だった。


何か楽しいのかわからなかった。




でも、だから僕はあえて入った。



なぜ彼らはメタルに惹かれ、

メタルを演奏しているのかを知りたかった。


そして嫌いだったメタルというジャンルで

デスボイスを習得し、4オクターブ出せる

くらいにまでなった。



自分が嫌いと思っているものを

好きな人がいる。


その理由を、真実を知りたかった。





だからおそらく、


今やっている「営業」という仕事も

現代文やメタルと同じように


嫌いというイメージから

好きという事実に

変わっていくような気がする。



「ポジティブとは、

ネガティブな面からプラスを引き出す力」

だと僕は人生を通して感じた。





敵や味方

好きや嫌い


というイメージは、機会損失になる。



なぜなら、イメージは体験や経験によって

いくらでもくつがえるから。



好きと思おうが嫌いと思おうが

それは自分の勝手だが、


好きなイメージのあることだけを

続けていては、おそらく

嫌いという現実になることだけが増え

結果的に好きなイメージを持つものが

なくなる。



恋愛なんかがそうだ。



取っ替え引っ替え、

パートナーと付き合って別れる人は

相手のネガティブな面しか見えていない。



自分の理想だけを追い続けて

相手のポジティブな面より

ネガティブな面に強く反応を示す。




だから関係は長く続かないし、

結局自分の理想が間違いだと

40代になって気づくだろうから

将来的に幸せにはなれない。




イメージは

他人の真実を壊し

自分の真実をも壊す




だから「好き嫌い」で

物事を判断するな。



そこで判断するのは勿体ないから

「なぜ好きなのか、嫌いなのか」と


もう一歩踏み込んで考えてみてほしい。




そうすれば、


世界は自分がイメージしていたよりも

ずっと広い現実なものと感じるだろう。



新卒離職率が3割になる本当の理由~〇〇の無能さ~

 

 

現在の大学新卒市場を見てみると、

3年以内に離職している人の数は

平均3割と言われている。

 

 

おおよそではあるが

1,2年目に辞める人が11~12%

3年目に辞める人が8~9%とされている。

 

そして就職してから4年目に入ると

離職の割合は5%くらいにまで下がる。

 

キャリアアップの予兆を感じ

昇進・昇格の可能性が増えるからだろうか。

 

 

 

新卒の3年以内離職率30%

近年になって現れた問題だと受け取られがちだが、

21世紀に入ってからのデータを見ると

離職率の変化はさほど大きくない。

厚生労働省の資料>

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11650000-Shokugyouanteikyokuhakenyukiroudoutaisakubu/0000140596.pdf

 

 

つまりは、離職率だけで見ると

さほど昔も今も変わっていないということだ。

 

 

では、一体何が変わったせいで

新卒の離職率を問題視しているのだろうか。

 

 

 

 

 

1.人口減少

 

人口減少は日本の喫緊の課題になっている。

 

何故かと言うと、

資本主義世界では

人口増減と経済成長には

相関があるからだ。

 

 

インドや中国、東南アジアの経済が

急激に成長している背景には

人口の爆圧的増加が関係している。

 

逆にヨーロッパや日本は

人口が増えず経済的に低迷しているため

その補完をしようと

移民を受け入れているのである。

 

 

つまり、移民を受け入れている理由を探ると

「人口減少による経済的低迷」

というところに行き着くのだ。

 

 

そして場面を日本企業に戻すと、

人口減少している社会において

新卒の定着率は企業の成長率に

非常に密接に関係してくる。

 

加えて20年前との違いは、

「手を動かす」から「頭を使う」に

大きくシフトしてきている。

 

 

この「頭を使える」人材をいかに見つけ出し

企業のビジョンと個人のビジョンを結びつけ

入社前後のギャップを解消するかが

企業の採用においては重要になってくる。

 

 

ただ、これがうまくいっていないから

人口減少している現在も

離職率の低下が抑制できていないのだろう。

 

 

 

 

2.採用方法

 

離職率の高さは

間違いなく企業の採用方法が

機能していないことから説明がつく。

 

 

離職率が下らない理由は、

昔も今も、企業が採用に際して

学生からのアプローチを待っているからだ。

 

もちろん「主体性」という部分を

見ているのかもしれないが

それは企業側だって同じだろう。

 

 

つまり「企業側の採用に主体性がないこと」が

離職率を止められていない理由だ。

 

 

例えば、ゲーム会社を想像してほしい。

DQを生み出している会社が

ゲームの作成に関わった人材を欲しがっていたとしよう。

 

もちろんネームバリューがあるから

じっとしていても応募は絶えないだろう。

 

しかし、企業側から

ゲームの制作に携わっていた学生を見つけ出し

採用面接に来てもらうということはあるだろうか。

 

もしかしたら一定数あるだろうが

ほぼほぼその可能性はないと考えたほうが良いだろう。

 

ちなみに僕もここに応募したことがあり、

選考にあたっての質問の欄に

「ゲームを作ったことはありますか?」

という区分があったから、そこからも

ある程度説明がつく。

 

ある人だけを厳選していれば

このような質問項目はないはずだ。

 

 

まとめると、

日本の離職率が下らない理由は

企業側が学生からのアプローチを

待っているところにある。

 

 

要するに、企業の

採用担当の営業力に問題があるのだ。

 

 

指示待ち人間なのは若者だけか?

あなた達も学生を待っているではないか!

 

 

 

3.SNS年代

 

 

「いいねがもらえて嬉しい!」

「沢山の人に認められている!」

 

そういった「承認欲求」を

求めている人は急増している。

 

 

スマートフォンが普及する以前は

リアルだけでしか誰かに

認められることはなかった。

 

 

しかし現代はスマホを通して

誰にでも出会えるようになった。

 

そしてリアルで出会ってなくとも

言葉をかわしコミュニケーションを取り

関係性を構築していけるようになった。

 

 

ただ、もしかしたらこれが

就職や離職に大きな影響を

もたらしている可能性がある。

 

 

つまり、ネットで成り上がるほうが

企業で昇進するよりも楽なのだ。 

 

 

 

Twitterを見ていて

ツイート内容やプロフィールで

「権威マウント」を取る人はたくさんいる。

 

 

「年収〇〇万円」

「年商〇〇万円」

「大企業〇〇社から内定獲得」

「新卒一年目で○○トップ」

 

 

実績という権威を持って

マウントを取るのは良いが、

結局これが本当なのかどうかを

証明することは文面からでは不可能だ。

 

 

実際、就職活動においても

これと同様なことが起こりうる。

 

 

「〇〇大学在籍」

「△△大会1位」

「□□賞受賞」

 

もちろんこういった権威は

周りの学生よりも自分を優位に立たせる

素晴らしい功績だ。

 

しかし、これだけを見て

採用側が判断するわけではない。

 

 

結局は、

 =========

・そこから何を学んだか

・何が身についたか

・なぜそういう結果に結びついたのか

 =========

そういった、その人の人間力の部分が評価される。

 

 

 

しかし、現在の就職市場を見ると

この人間力がなくなっているのではないかと思う。

 

 

承認欲求の強い現代人に

「なぜいいねがほしいのか」という質問をしても

大抵の回答は集約され

その人個人の人間力

ほぼほぼ見られないはずだ。

 

 

単発的な欲求を求める人には

眼の前のことしか見えていない。

 

 

もしかしたら今の若者は

自分の未来に興味が無いのかもしれない。

 

 

5年10年かけて

企業でのポストを上げていくよりも、

1年2年の短い期間に

ネット界隈で欲求を満たしていくほうが

今の若者にとって重要なのだ。

 

 

世界や日本が不安定な近年、

社会観念に囚われた生き方をするよりも

今を楽しんだほうがいい

という考え方をする人は多くなっている。

 

 

 

「個人の芸能人化」

 

これが現代のトレンドだ。

 

 

このトレンドで成り上がれば

学歴は関係ないし

実績次第では良い企業に入れる

可能性は十分にある。

 

 

「半学歴主義」的なところから

インフルエンサーは始まっている。

 

 

それならそこで短期的に成り上がって

就職活動のときに周りを実績で圧倒し

自分の求める仕事につけばいい。

 

 

もっとも、そんな自由人を

頭の固い採用担当が受け入れるかは

わからない。

 

わからないが、人脈によっては

ヘッドハンティングされる可能性だってある。

 

 

 

つまり、若者が取るべき道は2つ

 =========

就職して5~10年かけて成り上がる

インフルエンサー活動を通してヘッドハントされる

 =========

 

自分の「~たい」が

個人的社会的な利益にならなければ

それはただの自己満足だし

市場評価ではなく自己評価という

それこそ低レベルな承認欲求に終わる。

 

 

 

 

まとめ

 

 

この内容は「僕が新卒3ヶ月で転職しよう」と考え

実際に転職活動に移る上で

自分のキャリアを考えて

一旦保留にしたところから見えてきた視点だ。

 

 

日本の新卒離職率は現状3割となっているが、

ちなみにフランス人は

「お金ができたらやめる」

「なくなったら仕事を始める」

というワークライフスタイルを取っている。

 

僕のいとこが昨年フランス人と結婚をし

そこから仕入れた情報だから間違いない。

 

 

だから正直、問題は数字の面ではない。

 

現に離職率3割はここ数年に限ったことではない。

 

この問題に対して哲学していった結果、

たどり着いたところは「人口減少」だった。

 

 

いまの政府もこの問題に対して

早急に対策を講じようと

保育無償化などを先日制作化している。

 

 

それほどまでに、経済と人口の関係は

密接にあるのだと今一度認識してほしい。

 

 

そして一番伝えたいのは

「簡単に転職したいと思うな」

というところだ。

 

 

本当にきつくて、ブラックで

体型が変わってしまうほどの

労働環境にいたのであれば

おそらくその人は

「転職したい」と思う前に

「辞めている」はずだ。

 

 

僕は実際そうではなかったし

自分のやりたいことだけを

やろうとしていた。

 

その浅はかさをこの1週間で知ったし、

転職が「何一つ自分のためにならない」

ということを肌で感じた。

 

だからここに綴っている。

 

 

未来をどう構築するかは自分次第だが

今の自分の「~たい」からの未来設計ではなく

しっかりと未来のビジョンから逆算して

「その達成のために今やるべきこと」

を考えたほうが合理的だ。

 

「コーヒーは危険?それとも最強?」~1日のパフォーマンスを上げたいなら~

朝を見直すこと

それは一日を見直すことになり

人生を見直すことになる

 

 

 

 

 

あーーーーっす!

(おはようございます!)

 

 

 

一人カラオケマンのとーまです。

 

 

 

あなたは日々、生活の改善をしようと悪戦苦闘していますか?

 

僕はしています。

 

 

青汁を飲み始めたり

豆乳を飲み始めたり

お菓子をやめたり

揚げ物をやめたり

サプリを飲んだり

 

この他にも色々やりましたね。。

 

 

 

僕が生活習慣の改善を初めたのは、

大学1年のときでした。

 

 

その頃の僕は

日々漫然と過ごす自分に嫌気が差し

「一つ一つにこだわりを持って生きたい」

という一心で、生活を一新しました。

 

 

しかし、振り返ってみると

それらは不毛とまでは言いませんが

たったひとつの飲料を摂るだけで変われたと思うと、

かなり遠回りしたな~と思ってしまいますねw

 

 

 

 

 

たったひとつの飲料

 

 

 

 

 

 

それはコーヒーです!!

©iStock.com

 (引用:https://bunshun.jp/articles/photo/5089?pn=1

 

 

僕はこの事実を知ったとき

非常に衝撃的でした。

 

 

だってコーヒーは発がん性物質を含む

「危険な飲み物」だと聞いていたからです。

 

 

しかし、脳科学の本やメンタルの本、ダイエットの本など

様々な本で「最強のコーヒー」が証明されていました。

 

 

 

 

僕が知ってるだけでも、

コーヒーの効用7つあります。

 

 

①「ダイエットに効く」

←抗酸化物質(ポリフェノール)を多く含む

(善玉菌の生成)

ドレスを試着するとダイエットも本気になれる!

(引用:https://zexy.net/contents/lovenews/article.php?d=20171219

 

 

②「集中力が上がる」

ポリフェノールによる善玉腸内細菌の生成

(腸内環境の安定)

「集中力」の画像検索結果

 (引用:https://oyakudachinet.com/2018/12/03/post-1657/

 

 

③「記憶力が上がる」

ポリフェノールによる善玉腸内細菌の生成

(腸内環境の安定)

記憶する速度を速めるための5つの方法

 (引用:https://www.lifehacker.jp/2015/11/151127_5ways_memorize.html

 

 

④「パフォーマンスが高まる」

ポリフェノールによる善玉腸内細菌の生成

(腸内環境の安定)

 

 (引用:https://www.njg.co.jp/post-19720/

 

 

⑤「脳内炎症を防ぐ」

←カフェインの摂取による

 

 

⑥「認知機能衰えの軽減」

←カフェインの摂取による

 

 

⑦「アルツハイマー病の発症リスクの低下」

←カフェインの摂取による

 

 

 

いかがでしたか?

 

 

コーヒーを飲むだけ

これだけの効用が得られるなんて

信じがたいですよね?

 

 

僕も初めはそうでした。

 

 

けれどこの効用は科学的に証明されているので

飲む価値しかないと思いました。

 

 

そうして僕は、

飲めなかったブラックコーヒーを

飲めるようにトレーニングしました。

 

 

また卒業研究のとき

偶然にも「フェアトレード」を研究したおかげもあって

様々な国の味のコーヒーを飲む機会がありました。

 

 

そうした機会を経て

今はフェアトレードタウンを運営していますし

その中でコーヒーの研究家にも出会えました。

 

 

 

彼が言うには、

コーヒーの価格は「1g=1~2円」

だそうです。

 

 

これ以上の価格で売られているコーヒー豆は

ボッタクリと言って良いそうです。

 

 

「では、僕らはどこでコーヒー豆を買えばいいんですか?」

僕は彼にそう聞くと、彼は

「カルディで買えば間違いない」

と答えました。

「カルディ」コーヒー「タダ飲み」目当て、買い物する気ゼロ…法的に問題ない?

 

 

 

そして、皆さんにひとつ忠告

しておきたいことがあります。

 

 

 

コーヒー豆を選ぶ上で、

基本的かつ重要なことです。

 

 

①    安いコーヒー豆は質も悪く、カビている豆の割合が高い

②    ブレンド豆はカビている豆が混ざる可能性が高い

 

 

カビた豆でも得られる効用は変わりませんが、

長期的な摂取を見据えると

悪性が蓄積されてしまいます。

(もしかしたら、これが発ガン性物質なのかも?)

 

 

これらの基本を抑えた上での解決策は、

 

①    中南米の特定の生産地の豆を選ぶ

②    質を重視したいのならフェアトレードのコーヒー豆

国際フェアトレード認証ラベル

(引用:https://www.fairtrade-jp.org/about_fairtrade/intl_license.php) 

 

 

 

これであなたは、

コーヒー豆を完璧に見分ける目を養えました!!

 

 

 

それはつまり、

朝を制するようになったとも言えます。

 

 

冒頭にも書きましたが

「朝を制するものは、一日を制します」

 

 

個人がパフォーマンスを高めれば

社会に貢献できるモノ・コトも増え

日本や世界はより良くなっていくはずです。

 

 

バタフライ効果

 

 

 

「小さな事象も、大きな結果を生む」

 

 

 

僕はそう信じています。

 

 

 

 

共に世界を良くしていきましょう!!