働き甲斐のない人には、生き甲斐もない~21世紀時代の生き方
「こういう仕事がしたい」
「ああいう働き方に憧れる」
「そんな風になってみたい」
あなたには、自分の理想する働く姿がありますか?
人が理想を作り出す所以は、
そこに自分の人生においての
強い価値を感じるからです。
年収1000万円プレーヤーを理想とするのなら、その人は人生においてお金に強い価値を感じています。
ホワイト企業に勤めることが理想ならば、その人はワークライフバランスに人生の価値観をおいています。
海外勤務への移住を理想としているのならば、ゆったりとした暮らし、つまり時間に大きな価値観を感じています。
このように、人生の価値観(生き甲斐)は人によって様々なのです。
一方で、どんな人にも共通していることはあります。
それは「生きるために食事をとること」です。
デカルト風にいうと、
「我あり、故に我思える」
考えることのない植物たちには、自分の理想はありません。
(https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/dai88/20190512/20190512085430.jpgより引用)
人間は生きなければ、理想を語ることも理想を思うことも当然ながらできない。
そして人間界では、食料を手にするためには対価として「貨幣(お金)」を支払う必要があります。
つまり、生きる上でお金は必須なのです。
そして、そのお金の多くは「働くこと」で手にすることができます。
わかりやすい式で表すと、このようになります。
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生きる=食事をとる
食事をとる=お金を得る
お金を得る=働く
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つまり、人間は生きるために働く必要がある。
基本的には、働かなければお金は手にできないし、それではご飯は買えないし、そうなれば生きて行くことができない。
生き甲斐を語る上で、働き甲斐は無視することができないのだ。
働き甲斐を感じられる人は、生き甲斐を感じられるし、逆に生き甲斐を感じられている人は間違いなく働き甲斐も感じている。
そこで、あなたに問いたい。
「あなたの生き甲斐とは何ですか?」
この問いにはっきりと答えられない人は、自分の生き甲斐を理解できていない。
それはつまり、働き甲斐も感じられていないということでもある。
人生において、自分が何に最も価値をおいているのかを考えることは、自分の生き甲斐を考えることであり、それはつまり働き甲斐を得ることでもある。
特にモノが飽和して豊かさが溢れかえっている現代では、自分の生き甲斐から全てを考えないと、幸福度は上がらない。
昔のように、荒野に文明を再生させようと躍起になっているわけではないから、働き甲斐を生き甲斐にするのは難しい。
鶏と卵論的に言えば、現代では生き甲斐を前提とした上で働き甲斐を求めなければ、自分を幸せにすることはできない。
日本の教育過程では、働き口を探す機会は存在するのに、生き口を探す機会は存在していない。
つまり、多くの人が生き甲斐を見つける前に働き甲斐について考えさせられているのだ。
まさに、平らでない土地に建物を立てようとしているようなものだ。
これについては、誰が悪いというのはない。
個人が生き甲斐を考えないのも悪いし、
企業が働き甲斐だけを提供しようとしているのも悪いし、
日本の就活制度も悪い。
けれど、責任転嫁をしていたって生き甲斐を誰かが提供してくれるわけではないし、勝手に働き甲斐を感じられる職場で働けるわけでもない。
自ら働き甲斐を求めて、そのために生き甲斐を見つけなければならない。
現代人(人間)の仕事は、自分の生き甲斐を見つけることから始まると言っても過言ではないだろう。