賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

なぜ信用経済になったのか~哲学で切る未来~

ブログ、ツイッターフェイスブック、インスタグラム、ライン

おそらく、ここにあるSNSツールを

使ったことがない人はいないでしょう。

 

 

いやはや、時代とは大きく変化したものですね。

 

僕もここにあるツールは、全てやっています。

 

 

 

SNSをやっている人~?」という質問に

99.9%の人はYESと答えるでしょう。

 

「やっていませんよ~w」という人は、おめでとう!!

あなたは、現代において希少な存在です。

 

 

 

 

では、YESと答えたみなさんに

もう一つこんな質問をしてみたい。

 

 

 

 

「あなたはなぜSNSを使っているのですか?」

 

 

 

 

「便利だから」と考えた人は、

きっと多いのではないのでしょうか。

 

 

もちろんそうです。

 

 

遠く離れた家族や友人と、地理的な概念を無効化して

時間を共有することができますからね。

 

 

けれど、僕が思ったことはそういうことではないんです。

 

 

「なぜ、SNSが必要とされる世の中になったのか」

という根幹の部分に疑問を感じたのだ。

 

 

あなたも生活していて日々感じていると思うが、

世界は今大きな転換期に直面している。

 

 

 

最近、巷でよく言われているのが

「信用経済」という言葉です。

 

 

聞いたことのない人のために

パッとわかりやすい説明をすると、

 

「信用のある人が勧めているモノを買う」

 

 

つまり、

「あの人が大丈夫って言うなら大丈夫だろう」

的な感覚を無意識的に発動して、

自らの選択によるストレスを軽減する。

 

これが「信用経済」の一面です。

 

 

 

我々がSNSを日常で使っているのは、

この信用経済と大きな因果関係がある

 

 

と僕は感じたのです。

 

 

 

 

今回は、なぜ「信用」が現代で重要視されるようになったのか

について書き綴っていきます。

 

 

 

 

 

①    自由化

 

 

・結婚相手の選択の自由

職業選択の自由

・居住・移住の自由

・電気の自由化などなど

 

 

現代では「自由」の概念が当然とされています。

 

現代風に言い換えれば、

「自分が生きたいように生きる」

といったところでしょうか。

 

 

しかし、こんなすばらしい観念ができたのは、ここ半世紀

 

いや、この10年くらいだろう。

 

 

 奴隷制や不自由を脱し、

我々はとうとう個人としての自由を手に入れたのです。

 

おそらくこれは、歴史から見ても紛れもない事実だ。

 

 

 

しかし、逆にこう考えるべきなのかもしれない。

 

「我々は、自由を手に入れすぎた」

 

 

 

私的な話で申し訳ないが、こんな話をしたい。

 

僕は営業商社で働いていて、

その仕事の中で「電気の自由化」に関係する仕事に

携わっていたことがある。

 

この具体例から「自由」についての話を勧めていきたい。

 

 

電気の自由化について、知らない人がいるかも知れないので

専門的な立場からサラッと説明します。

 

電気の自由化とは、地方電力会社

(東京電力関西電力など9)から

新電力会社に切り替えることで、

割引の恩恵を受けることを言う。

 

ちなみにこれを知らない人たちや

全く切り替えるつもりのない人たちも、

20204月までには全世帯が

新電力プランに切り替わります。

 

 

しかし、ここでこんな事が起こります。

 

A社:月割引率2%

B社:年20万以上使用で割引率4%

C社:月2000円引き

 

では、ここで質問です。

 

「ここにあるAC社の中で、

あなたにとってベストな会社はどれですか?」

 

 

おそらく、この質問に瞬間的に答えられる人は

世の中にいないでしょう。

 

しかし、この3択ですら答えられない現代人に

2000社を超える新電力会社の中から

1社を選択することができるのだろうか。

 

 

 

気づいた人もいると思うが、

「自由化」したことにより

選択肢」が増えすぎたのだ。

 

 

つまり、選択肢が増えすぎたことにより

自分にとってどの選択肢が最適となるのか

全くわかりかねる状況が生まれたということだ。

 

 

これを

「需要の多様化」というべきなのか

「供給の多様化」というべきなのか

僕にはわからない。

 

 

しかし、ここからわかることの一つとして

選択肢が多い世の中だからこそ、

その道に精通する信用ある人の選択を真似るのだ。

 

 

そうすれば、わざわざ選択に悩む必要がない。

 

ウィルパワーの減少を、最小限に食い止められるのだ。

 

 

SNSを駆使して、みなが「ブランド人」に

なろうとしているのは、

自分がある道に精通する者になれば、

自分を頼りにする人達が集まり、

そこに広告でも打っておけば、

マージンがもらえる。

 

「信用経済化」がもたらしたのは

「個人化」なのだ。

 

 

まとめるとこんな感じだ。

 

=========

様々な分野での自由化

市場参入の容易性拡大

競合他社の飽和状態

選択肢の飽和

自分に最適な選択肢がわからない

信用ある人に聞く

信用ある人の選択を選択する

ここで自分もブランド人(専門家)

すれば儲かると気づく

極度に需要の高いマーケット、あるいは

競合が少ないマーケットに個人で進出

フォロワーないし登録者数を集める

そこに集まる人は自分が持つ

専門的な情報に集まっていることに気づく

その情報を公開する

この公開しているSNS媒体に広告を打つ

マージンをもらう

============

 

 

 

これが「信用経済」の一連の流れだ。

 

 

もともと結婚相手や仕事先が

決まっていた前近代と全く違う

ということは明らかで、

どうやら近代では「人」が

大事になることは

間違いないらしい。

 

 

 

②    信用と安心と信頼の違い

 

「信用」と似た言葉に、

「安心」と「信頼」がある。

 

 

 

「信用」とは言い換えれば「クレジット」

つまり、利害関係が絡む関係なのだ。

 

銀行や保険などを考えれば、

理解ができるだろう。

 

 

「信用」とは

一見人と人がつながっているように見えて

実は「お金」で「人」と「人」が

つながっているだけなのだ。

 

では、「安心」や「信用」は

どうなのだろうか。

 

 

これら2つについても、

僕は明確な違いに気づいている。

 

=========

・安心・・・対物的な心情

      また集団においての観念

・信頼・・・対人的な心情

      また個人においての観念

=========

 

 

わかりやすくするために、

以下に3つの質問を用意した。

 

 

・海外の人々は、日本に対してどう思っているか。

→安心?信頼?

 

・あなたはTOYOTAの車をどう思っているか。

→安心?信頼?

 

・あなたはTOYOTAをどう思っているか。

→安心?信頼?

 

 

 

答えは、上から

 

「安心」

「安心」

「信頼」

 

 

となる。

 

 

 

最後の問いは非常に難しいかもしれないが、

人間にはそもそも2種類ある。

 

「自然人」と「法人」だ。

 

我々人間は前者にあたり、

TOYOTAは後者にあたる。

 

 

 

③    信頼と信用の違い

 

「安心」と「信頼」については説明してきた。

次に考えるべきなのは、

「信頼」と「信用」についてだ。

 

 

これに関しては、

結論から話したほうがいいだろう。

 

=======

・信頼・・・不利益を被っても、守りたい人間関係

・信用・・・利益を担保した上で、守りたい人間関係

=======

 

 

例えば、あなたの親友が財布を忘れたとする。

そんな彼・彼女があなたに

1000円貸してほしいと言ってきた。

ここであなたがお金を貸せば、

二人には「信頼関係」ができていると言える。

なぜなら、貸した彼・彼女が

あなたに返す保証などなく、

明日突然違う場所に消える可能性もある。

つまりあなたは、

経済的に1000円の損失を出す

可能性があったにもかかわらず、

親友に1000円を貸したのだ。

これが「信頼関係」の真髄だ。

 

ではもう一つ。

あなたはTOYOTAの社長だとする。

ある日、部品の取引先A社から

こんなことを言われる。

「来月から取引額が

1000万円上がって5000万円になる」と。

ちなみに部品の市場価格は、

4500万円とする。

ここで、あなたには少なくとも2つの選択肢ができる。

 

=======

1.A社との取引を続け、5000万円支払う。

2.B社との取引を開拓し、4500万円支払う。

=======

 

このとき「1」を選択した場合、

あなたとA社には

「コミットメント関係」があるといえる。

 

そして「2」を選択した場合、

あなたとA社には「信用関係」があり、

またB社とも「信用関係」を築いた。

 

 

 

ここで、初めて出てきた言葉がある。

 

「コミットメント関係」

 

これは「信頼関係」とかなり似ていて、

 

先程の例で言うと

「取引費用の損失(安さを選ばない)」

よりも

機会費用の損失(コミット関係を壊す)」

を恐れるような関係性ということだ。

 

 

つまり、一見対比的に見えた

「信用」と「信頼」は、

どこか集合的な考え方で捉えられるのだ。

 

信用関係の中にも、信頼関係はあるのだ。

 

 

 

④    囚人のジレンマと資本主義

 

囚人のジレンマは、

哲学や社会学の中で

しばしば扱われる考え方である。

 

簡単に言うと、

世界中の人々が世界中の人々を信頼すれば、

世界は最も合理的に利益を得られる

という考え方だ。

 

気になる人は、

ぜひ調べて見てください。

 

 

ここで考えるべき真実は、

世界中の人々が世界中の人々を信頼するなど

99%できない、という事実。

 

 

理論上の最適解を差し置いて、

みな自分の利益となる行動ばかりを

選択しているのだ。

 

 

 

それも当然。

 

これが「資本主義社会」なのだから。

 

 

 

 

日本のバブル景気を思い出してほしい。

 

 

 

なぜ日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン

と呼ばれるような時代を見せたのか。

 

 

おそらくそれは、

日本人が日本人を信頼し合い、

自らの利に溺れるのではなく

社会が最も有益になるような

選択を取り続けてきたからだろう。

 

 

それがいつからか、

自分の利を優先するようになり、

バブルの崩壊をもたらした。

 

 

日本人は「信頼関係」によって

囚人のジレンマを突破し

世界で唯一最合理的な社会を築き上げたのだ。

 

 

そんな日本が、なぜここまで落ちたのか。

 

 

 

⑤    グローバル化

 

グローバル化は、信頼関係の天敵だ。

「信頼」によって築き上げられるのは

機会費用」優先の経済。

一方で、グローバル化が築き上げたのは

「取引費用」優先の経済。

 

つまり、「安ければ安いほどよい」という

社会観念を作り上げたのがグローバル化なのだ。

 

 

現在の日本も、対外関係では悪戦苦闘している。

そのほとんどが「利害関係」だ。

 

ロシアとの北方領土問題も、

排他的経済水域による漁獲権争い。

 

韓国との貿易問題も

精密機器などの企業の利益の争い。

 

 

グローバル化する前の日本は

世界で最も優れた企業を揃える

最も優れた国であった。

 

しかし、それがグローバル化によって

一瞬で崩れ去った。

 

 

要因は様々あるかもしれないが、

もしかしたらグローバル化

日本を陥落させるためのメソッドだったの

かもしれないと、僕は睨んでいる。

 

 

 

⑥    競争社会と資本主義社会

 

資本主義社会が世界の主流になっているが、

この観念が利益を最大化しないというのは

これまでに説明してきた。

 

 

資本主義の観念に近い言葉に

「競争」という言葉がある。

 

 

しかし、現代世界にある競争は

本当の競争ではなく、

資本主義に準ずる競争になってしまっている。

 

 

 

ちなみに「競争」の「競」には

こんな語源がある。

 

「競」の漢字の成り立ちは、

二つの「立」と二人の「兄」から成る。

 

「立」は「神」を意味し、

兄たちのどちらがより神に仕えられるのか

というのを「祈り」を通して

競い合っている。

 

これが「競争」の本質だ。

 

 

資本主義社会を解脱して

紳士に競争に向き合っているのは

「〇〇道」と呼ばれる競技に

信仰している人のみであろう。

 

 

その他の世界に住む人間は、

神への信仰を競い合う中で

資本や何かを他者と競い合い

それでもって神に取引を持ちかけ

勝ち負けを決めようとする

 

これが「資本主義的な競争」であり

一般的な競争の考え方である。

 

 

本当の競争社会になれば、

資本や云々を勝負材料とせず、

企業の技術力や研究力、

教養力を駆使して

他者を上回ろうとする。

 

 

こんな世界、どこにもない。

 

 

 

と、思っていませんか?

 

 

実は、あったのです。

 

 

それは「教育時代」

 

 

社会人になるまでの人間たちが競い合おうとすると、

資本以外のなんたらで勝負するしかないのです。

 

ある人は運動能力で

ある人は知識力で

ある人はリーダー力で

 

 

最近インフルエンサーたちが

日本教育は~だ」と

卑下することが多いような気がします。

 

「社会人になったら使わない」

 

そう一言だけ伝えて、

成り上がっている感を演出するのだ。

 

 

しかし、気付いてほしい。

 

 

そんなことを言う人達が住んでいるのは、

「資本主義的な競争社会」であって

自分の利益を優先する人たちが

介在する社会であって、

利益が最大にならないような社会である。

 

 

つまり、資本主義社会こそが非合理的なのだ。

 

 

そこまでわかった僕は、

今後の日本や世界に何を望むのか。

 

 

⑦    日本国の地方化

 

 

地方と都市の経済格差は、言うまでもない。

 

地方は過疎化が進む一方で、

都市は過密化する一方だ。

 

もちろん地方の中でも

過疎化の改善を施している都市もある。

 

 

しかし、ぼくはどこかこう願っている。

 

「地方が、もっと不便になって人がいなくなればいいのに」と。

 

もちろん、これは卑下的な意味合いではない。

 

要するに、戦後の日本と同じ状況を

意図的に創り出すのだ。

 

何もない場所ができれば、

人間の本能である「開拓欲」が発動する。

 

この何もない場所に

150人の人が集められたら

その小さな区域で最適化しようと

経済圏を作り出すだろう。

 

 

しかし、本当に何もなくなったわけではなく

物物は存在している。

 

イメージとしては、

朝起きたら自分以外の人が街から消え、

あなたが外の地域から人を呼び集め

そこで経済発展を遂げるというようなイメージである。

 

一見不便のように見えるが、

おそらくこんな時代は15年後くらいには

どこかの地域で必ず起きる。

 

そんなときに活躍するのが、

ITであったりAIであったりなのだと思う。

 

人間は人間にしかできないことを、

その他はAIにやってもらい

経済構成を最適化していくのだ。 

 

このようにして「小さな政府」のような

「小さな都市」を日本中に創り上げられれば

社会的利益は最大化されるはずである。

 

互いが互いを信頼しあい

安心できるような社会の構築。

その上で他地域の人々と競い合い

進化発展をさらに遂げていく。

 

 

 

 

さいごに

 

 

僕はこの記事を作成するために、

18冊の本を読んだ。

 

その半分が中国哲学の本だった。

 

しかし、この記事に哲学的な観念は

あまり入っていなかったように思えたのではないか。

 

 

それもそのはず。

 

 

ここに綴った見方は、

僕が哲学を通して身につけた

「根本を疑う能力」を使って

現代社会の側面を切っただけなのだから。

 

 

この記事で「シミュラクラ現象」などという

言葉は出てこなかったはず。

 

 

 

「氷山の一角」で例えればわかりやすいかもしれない。

 (https://i.dailymail.co.uk/i/pix/2016/08/16/17/374AD15B00000578-3743492-A_jutting_iceberg_location_unknown_its_vast_moulded_peaks_viewed-m-53_1471366152376.jpg より引用)

 

われわれ現代人の、それこそ99.9%は

海面に出た氷山にしか目が行かない。

 

しかし「哲学」を学べば、

「なぜ氷山が海面から出るのか」を

考えるようになる。

 

そうして哲学していく間に、

海中の氷には空気に触れる氷の

8倍もの体積があることに気づく。

 

 

ここで、最後にこんな問いをあなたに投げたい。

 

 

真実は氷山の一角か?

それとも

その8倍もの体積を持つ海中の氷か?