貧困 0プロジェクト

消費購買を見直し、途上国の貧困をなくそう!

社会貢献企業と関わりたい~社会的価値の高い企業の特徴とは?

社会的価値の高い企業に務めたい。

http://tokyo-seikei.com/wp-content/uploads/2016/04/0b5a23200e0591cf82adea24baa3824f.jpgより引用) 

 

 

先日、僕は転職先に求める

企業の3条件について答えを出した。

 

 

キーワードは

「大学」

地方自治体」

SDGs

 

これは、自分の利己的な欲求から

結論づけたものではない。

 

 

 

僕にはこれといった

情熱的な目標がなかったということについて、前回の記事で説明した。

 

そして

目標の設定の仕方には2種類ある

ということについても説明してきた。

 

 

詳しくは、こちらをご覧ください

↓↓

https://blog.hatena.ne.jp/winterhorse25/winterhorse25.hatenadiary.jp/edit?entry=26006613394490123(「目標の設定の仕方」)

 

 

 

さて今回の記事はなぜ

「大学」「地方自治体」「SDGs」

と関わりの強い企業が、

社会的な価値が高いと言えるのか

について解説していく。

 

 

 

 

大学

 

不安定な社会において

いつの時代もどこの国でも

持っている不満を最初に社会にぶつけるのは

必ず「若者」だ。

 

そして

学校という若者の住む教育世界と

社会の中心となるビジネス世界

これら両極の最も近くに位置する若者は

「大学生」である。

 

企業は会社を経営していく上で、

もちろん永く続くことを望む。

 

しかし、時代によって

社会の価値観や需要は変動していくものだ。

 

2000年代以降は特に

時代の変革スピードが加速している。

 

つまり

需要の変動・移り変わりや

流行り廃りが活発に起こっているのだ。

 

企業はこの早い変化の兆しに

いち早く気づかなければ、

マーケットの争いで

優位に立つことができない。

 

 

永続に失敗してしまう。

 

 

例えば、

自分が就職した企業が

3年後に潰れてしまったとしたら、

それは自分が持っていたビジョンの達成の前に

ビジョンもろとも崩壊してしまった

ということと同じである。

 

だから

企業は社会の需要の変化について敏感で

価値観の変化にも柔軟に対応することのできる

そういった人たちと強く触れ合える

ポジションを取らなければならない。

 

それが、

大学と繋がっていることの重要性だ。

 

企業が「大学」という機関と相互関係になれば

大学生にとっては教育になり

就活の足がかりにもなるし、

これはお互いにとってメリットになる。

 

 

地方自治

 

ここでいう地方自治体とは

「都市」のことだ。

 

市町村と言えば、わかりやすいか。

 

都市とは、

ギリシア世界に「アゴラ」と呼ばれる

「集会」が出現した頃から考えられた

コミュニティの概念である。

 

これは非常に合理的な方法で、

人間は集まることで、

必ずどこかのコミュニティの話をする。

 

そしてその

非自覚的な問題意識の顕在化は、

コミュニティにおいて「意見」となる。

 

(別に話そうと思っていなかったが、

同僚4人とランチに出かけると

気づいたら会社の話をしていたりするあれだ)

 

 

この頃のコミュニティの存在意義は、

意見を集め市民活動を行うためのもの。

 

つまり

現代においての都市の存在意義も、

市民の意見を集め活動するもの

であるべきということだ。

 

しかし

現代では都市の

コミュニティとしての力は弱い。

 

おそらく

自分の暮らす市町村の人口よりも、

自分の支持するYouTuber

インスタグラマーのチャンネル登録者数や

フォロワー数の方をよく知っている。

 

 

情報社会のせいか、

灯台下暗しとなってしまっている。

 

遠くを知ろうとして

近くにある存在を忘れてしまっているのだ。

 

しかし

だからといってこの現実を

否定しているわけではない。

 

21世紀になってから

コミュニティの概念が変わっているのだ。

 

元来

リアルでしか存在し得ないコミュニティは

SNS世界で実現したのだ。

 

今では「コミュニティ3.0」ならぬ

概念まで発起し始めている。

 

そして僕は、

この「コミュニティ3.0」に注目して

「都市」の大切さに気づかされた。

 

 

どういうことか。

 

 

コミュニティ3.0とは、

既存のコミュニティに

外部の者が侵入することで

イノベーションが起こり

地域が活性化していくことを言う。

 

 

わかりやすいもので言えば、

ふるさと納税陸前高田の復興などがそうだ。

 

 

現代人に

「あなたが所属するコミュニティは

どこですか?」と聞いても、

自分の暮らす地域を答える人は少ない。

 

 

実は、あなたがこれに答えようと浮かんだ

そのコミュニティは、

あなたが強い帰属意識を持つ

コミュニティであり、

問題を発見する対象になる存在である。

 

例えば

この質問に「Twitter」と答えたのであれば、

あなたはSNS世界にいることの満足感を

強く感じており、

そこでどのような考えや価値観が

芽生えようとしているかの

兆しを見つけられるだろう。

 

 

 

地方と都市の二極を頭に浮かべてほしい。

 

 

都市というコミュニティへの帰属意識は、

地方に傾くほど高くなり

都市にいくほど低くなる。

 

 

この「都市への問題意識」が

日本全土で低くなっているせいで、

地方の問題は一向に解決に結びついていない。

 

これも灯台下暗しで、

自分の暮らしている地方の素晴らしさよりも

都市のなんとなくすごそう感に

魅力を感じる人が多いのだ。

 

 

ちなみに僕は、

日本社会が後退していっている理由を、

人口が最適化していないからだと考えている。

 

 

 

そんな僕は

フェアトレードタウンの運営をしていて、

自治体や企業の社長、大学の教授など

様々な分野の人が

集まって意見を交わし、

途上地域の貧困を助けるため

地域を活性化させるために

日々活動している。

 

 

人は、

どの時代もどの年代の人も

必ずどこかの都市に属する。

 

 

そして

自分の住む都市の市民活動に参加することは、社会的な自立を意味している。

 

 

たくさんの若者が

「自立のため」と

名義をうって都会へいくことは、

単に「親からの自立」であって

「社会的な自立」にはならない。

 

 

世界は人間が生み出した技術によって

急激な変化をしているが、

その一方で人間の本能の面は

100200年単位ではまず変わらない。

 

 

だから

義務教育で日本人は歴史を学ぶのであり、

10002000年前あるいはもっと

昔の時代から変わっていない部分こそが、

人間の本質的で不変的な部分なのだ。

 

 

AIが台頭してきている近年、

人間としての本質が問われてくる。

 

それを就活を通して

1年半以上考えて出してきた僕の答えが、

人間にとっての「都市」の大切さ

ということだ。

 

そして

企業が永続していくためには、

その人間の不変的な部分との

関わりを強めていくことが大切だと考え、

都市と連携の強い企業を

僕は転職先に求めている。

 

 

SDGs

 

SDGs」

というものをご存知だろうか?

 

これは国連が定めた世界の共通目標である。

詳しくは、ご自身で調べてみてください。

 

 

さて、

なぜこのSDGsに取り組む企業が強いのか。

 

キーワードは「株主」だ。

 

 

最近少しずつ聞くようになった

ESG投資」

 

これは

企業の社会貢献努力なるもので、

身近な言葉では「CSR」がそれに最も近い。

 

 

このSDGsに取り組む企業は

多くの株主から投資資金を集めることができ、事業の継続や改善、新規事業の開発など、

永続するための企業活動をしていきやすい。

 

 

僕は

私利私欲に溺れた

損得ベースの事業判断をする企業が嫌いだ。

 

それは、

その考えでは人を幸せにできないと

考えているからということも確かにあるが、

何よりも企業の持続可能性が低い

と考えているからだ。

 

自分のビジョンに対して

企業がその達成の前に倒れてしまっては、

自己実現もなにもない。

 

だから

SDGsに取り組む企業には魅力を感じるし、

自分がその事業に携わることが

自分の社会貢献欲求を満たしてくれる

と考える。

 

 

  

最後に

 

これらのすべての考えの始まりは、

僕が就活を始めた去年

201821日まで遡る。

 

 

このときから、

僕にはこれといったやりたいことがなかった。

 

ただ、ある時代のキーワードだけは

知っていた。

 

 

 

 

AI

 

 

 

 

瞬間的に僕は、

AIにはできない仕事をしようと思った。

 

それから4ヶ月の就職活動を経て、

僕は自分の大嫌いな「営業」の強い

営業商社への内定を承諾した。

 

 

そして就活が終わったあとも、

僕は就職活動ならぬ

人生活動を続けていた。

 

 

自分のことや社会のこと、

色々な物事や考え方を

知るための活動をたくさんしてきた。

 

その中で詐欺にもあった。

 

色々あって、今年4月に入社。

 

今月で5ヶ月目に入るが、

やはり僕は営業職には向いていない。

 

人にものを売るという行為が、

やっていていい気がしないのだ。

 

本当に相手が必要なモノならいいのだが、

商材は全くそういうものではない。

 

その影響もあって、

今の会社に入って転職しようと思ったことが、この4ヶ月で2回もある。

 

転職について考える中で、

僕は去年の就活で

AIに奪われない職業」を考えて

企業を探していたことについて、

かなり守りの思考をしてしまった

ということに気づいた。

 

 

そして、

新たに学ばなければならないと考えたのは

「人間の人間たる本質的な部分」

 

 

「哲学」や「主義・思想」が

まさにそれである。

 

 

それが今、

東洋哲学の書物をたくさん

読んでいることにつながる。

 

 

今回は

自分のキャリア形成のために、

人間の本質的な部分や

AI時代など様々な要因から逆算して、

自分が転職すべき企業を導き出した。

 

 

そしてこれからも

僕は人間の本質的な部分を

たくさん知っていくことになるだろう。

 

だからもしかしたら

また違った解を導き出すかもしれない。

 

 

ちなみに

僕が現職の営業を今すぐやめない理由は、

営業職に務めることで

得られるスキルが

営業力以外にもたくさんあることに

きづいたからだ。

 

 

そのことも、

まとまった考えができたら

記事にしていこうと思う。

 

 

https://blog.hatena.ne.jp/winterhorse25/winterhorse25.hatenadiary.jp/edit?entry=26006613394490123(「目標の設定の仕方」)

夢を哲学せよ~「目標」の導き出し方~

「人生をかけてやり遂げたいことは、一体何だろう。」

 

 

僕の社会人生活は、こんな自問自答から始まった。

 

 

 

僕はいままで、これといった目標を持ったことがない。

部活動、受験、就活、それらをすべてなんとなくやっていた。

もちろん手を抜いてやっていたわけではない。

実際レギュラーで出場したし、受験も学費免除で通える大学に受かったし、内定も人のいい会社からもらった。

だから、その日々が無駄だと思っているわけではない。

けれど、何故か釈然としない今日このごろ。

もっと熱量を持ってやっていたらどうなっていたのだろうか。

そんなアナザーワールドの自分を考えることが増えた。

人はそれを「後悔」と呼んだりする。

しかし、僕は過去の自分を悔いているわけではない。

なぜなら、今こうやって人生を振り返る機会・考える機会に出会えているからだ。

 

 

なるほど自分の人生を振り返ったとき、僕はなんの目標もなく日々を過ごしていた。

そのことに社会人になって気がついた。

 

 

ことの発端は、仕事を楽しく感じられないと自分が思っていることに気づいたことから始まった。

 

そしてその原因はおそらく、自分に目標がないから頑張れないのだと仮の結論を出してみた。

 

 

 

目標というのは、ある種の憧れ希望、おそらくそういった類いのものだと思う。

つまり目標とは「自分がやりたいこと」だと換言できる。

 

しかし、ぼくにはその「やりたいこと」がなかった。

 

 

最近僕が読んで考え方が似ていると感じた著書『公共性主義とは何か』には、こんな文言が書かれている。

 

=======

「行動には感情や情熱が必要で

いくらそこに想いがあっても

人間はそれだけでは行動に移せない」

=======

 

 

この文は僕が要約しているが、たしかにこの言葉は論理的に正しい。

 

あなたも「行動が大事」と頭の中で理解はしているが、なかなか実際に移すことはできていないはずだ。

 

 

 

話を戻すが、振り返ってみれば僕にも目標はあった。

 

「レギュラーになりたい」

「志望校に合格したい」

「良い企業に就職をしたい」

 

 

自分が立てた目標たちを実現してもなお、自分の選択に疑問を持ってしまっているのは、間違いなく「情熱」や「感情」が足りなかったからだろう。

 

 

 

幼い頃の僕は、些細なことで泣いていたし、仕返しに人を泣かせたりもした感情豊かな少年だった。

 

それが程なくして、僕は理性的になっていた。

 

わかり易い例を出すと、陽キャ陰キャなったようなものだ。

 

 

 

そのくらい僕は変わった。

 

 

変わらないことといえば、全時代の同級生に「ヤバイやつ」扱いされていたことくらいだ笑笑

 

 

しかし、いつからだろう…僕が感情を失ったのは。

いや、正しい表現をすれば「感情を抑えるようになった」といったほうが良いか。

 

 

 

いずれにしても、今の僕は感情をほとんど表にしない。

 

おそらくそのきっかけは、高校の同級生に言われたある一言が原点になっているような気がする。

 

「お前は黙っていればモテるんだけどな~」

 

 

これによって僕が黙り決め込み、感情を表に出さないようになった、とすれば

自分にとっての「かっこいい人」は「無口な人」と解釈したからなのだろう。

 

 

ただこの推測はかなり正しいと思っていて、

なぜかというと、僕はその頃からアーティストの「GACKT」を好きになったからだ。

 

 

あなたの知る「GACKT」は、おそらく口数少な目で佇まいの美しい男

であるはずだ。

 

 

無論、これは僕が彼を知ったときの第一印象だが。

 

 

もちろん、好きになったきっかけは「音楽」だ。

 

僕も彼も異質という面では同じ部類であり、僕はある意味共鳴してしまったのだ。

 

 

GACKT歴というべきかわからないが、僕が人間「GACKT」を好きになって今年で6年目になる。

 

そして今では、異質さの中での異質さを見つけられるまでに成長した。

 

 

例えば、彼は「悩むことは停滞・後退」としているが、

僕は悩みについて「自信をつけるチャンス」と思っている。

 

 

理由については省略するが、もしコメントで気になるという人が出るのであれば、喜んで共有します。

 

 

 

 

我々は人間である以上、理性も野生も両方あるのは間違いない。

 

 

しかし僕は、野生先行の生き方は人間のすべき生き方ではないと思う。

 

 

せっかく弱肉強食の生物ヒエラルキーから逸脱している存在なのに、

なぜもう一度野生の世界に戻るのかわからないからだ。

 

 

だから僕は「競争社会」は好きではない。

 

「共存社会」になればいいのにとずっと思っている。

 

 

 

野性的な人間とは「感情的で情熱的で、夢を持った人」のこと指している。

 

こういう人が、自分の夢に対して貪欲であり、達成するために全力で取り組むのである。

 

 

けれど人間みな野性的かと言われれば、そうではない。

 

僕もどちらかというと、野性的ではない方の部類だ。

 

 

 

ここで、もう一つ考えなければならないことがある。

 

 

 

野性的な人には達成したい目標がある一方で、理性的な人には達成したい目標があるのか

 

 

 

 

僕はこれに関して、すでに答えを導き出している。

 

答えは「YES」だ。

 

 

 

僕は理性的な人間だから、目標に貪欲に取り組めないのかもしれない。

たしかにある種の決めつけ・固定概念めいているかもしれないが、

もちろん諦めをつけるためにこんな事を言っているわけではない。

 

 

むしろ「目標の種類が違う」ということに、このことから気がつけたのだ。

 

 

 

 

どういうことかというと、野性的な人の目標は非常に利己的な一方で、理性的な人の目標は社会的な課題の解決に置かれることが多い。

 

 

もっと簡単に言うと、目標の立て方が違うのだ。

 

 

===========

野性的な人:「~したい」→目標を立てる

理性的な人:「~すべき」→目標を立てる

===========

 

 

これに気づいた僕は、自分のやりたいことからではなく、

自分のすべきことから目標を立てられることに気がついた。

 

 

それは社会課題であったり、時代の流れであったりから立てることができる。

 

 

そして昨日から今日にかけて、とうとう自分の人生・仕事を通してすべきことが明確になった。

 

それは、、、

「やった」と「できた」事実はどっち??〜DID人間とは

 

 

 

 

「料理がうまくできた!」

「英語で外国人と話せた!」

「100mを14秒台で走れるようになった!」

 

 

 

 


人間、達成感を味わうと人生を謳歌できるものだ。

 

 

 

そして達成感を味わえるのは、過去・現在・未来の3時点の中で、唯一「過去」だけである。

 


過去の出来事は、不変の事実だけを残すのだ。

 


関ヶ原の戦いで家康が勝ったという事実も、

トランプが大統領になったという事実も、

全て過去の出来事で変わることのない事実だ。

https://cdn.utaten.com/uploads/images/lyric/108076/mo15070201.jpegより引用)

 

 

そしてその「事実である過去」を解釈するのは、他の誰でもない我々人間だ。

 

 

 

実は人間の過去の解釈には、二通りある。

 

 

 

「できた」と「やった」

英語で言えば

「could do」と「did」だ。

 

 

 

意外にも英語に訳すと違うことがわかるが、複雑すぎる言語なのか、日本語で見るとあまり違いを感じない。

 

 

 

しかし「できた」と「やった」では

信用度が全く違う。

 

 

 

例えば、それぞれの言葉の前に「偶然」という副詞を交えて文を作ってみよう。

 


「偶然料理が上手くできた」

「偶然料理を上手くやった」

 


「偶然外国人と英語で話せた」

「偶然外国人と英語で話した」

 


「偶然100mを14秒台で走れた」

「偶然100mを14秒台で走った」

 

 

 

おそらくほとんどの人が、二つの文を比較してみて、下の文に違和感を感じたはずだ。

 


それもそのはず。

 

 

 

過去は「偶然に起こったこと」ではなく「起こったこと」なのだから。

当たり前のことかもしれないが、ここを再認識するとしないとでは大きく違う。

 

 

偶然に英語で話せるはずはないし、たまたま14秒台で走れるわけもない。

 

 

 

主体性を伴った過去(I did〜の文)であれば、それは偶然できたことではなく、あなたがスキルを持った持たない関わらず、行動を起こしたことで生まれた結果なのだ。

 

 

 

一方で「I could do〜の文は、あくまで可能性の指標なので、人によっては上手くできたと思っていた料理をできていないと評価するかもしれないし、話せていたと思っていた英語が全く彼らには伝わっていないかもしれない。

 

 

 

「できた」という可能性の定規には、上下の幅があるのだ。

 


そしてその幅は、人によって指し示す場所が違っている。

 


ある人は1〜5をできると思うかもしれないし、またある人は3〜8をできると思うかもしれない。

 

 

 

つまり「できた」は「やった」のような不変の事実ではなく、主観客観的に解釈が変わる「可能範囲的解釈での事実化」にすぎない。

 

 

 

わかりやすく換言すれば、口だけの自己満足なのだ。

 

 

 

「上手に料理できたよ!」というのは真実かどうかわからないが、

 


「料理したよ!」であればそれが真実かどうかははっきりわかる。

 

 

 

一方で後者の文には、クオリティー云々の内容は入っていないので、やったかやっていないかの「0 or 1」事実認識ができる。

 

 

 

故に

「I did〜」事実であると証明でき、

「I could do〜」人によって解釈が変わり事実とは言えないと証明ができる。

 

 

 

 


あなたは人に何かを伝える時、

 


「〇〇ができた」と伝え、自己満足の人間でいたいですか?

 

 

 


それとも、

 
「〇〇をした」と伝え、事実を語る信用ある人間になりたいですか?

 

 

 

 


ぼくは真実を語れる、そんなDID人間になりたい

企業が新入社員の採用時に営業をかけた結果

「うちはブラックだ。だけど博報堂の代理店ほどではない。」

「売り方はグレーなら問題ない」

「自分の予算達成だけを考えろ」

「勘違いさせてでも商談を組め」

 

 

 

これらは実際にうちの会社で飛び交った言葉だったり、共通の価値観だったりである。

 

 

 

 


営業職とはなんて汚い世界なのだ。

 

 

 

 


大学生の頃、僕はビジネスの世界が非常に汚い世界だと思っていた。しかしそこで生き残っていくためには、自分が最もやりたくない「営業職」での経験は必須になると考え、営業商社に新卒での入社を決めた。

 


あれから4ヶ月が経ち、僕のできることは明らかに増え、強みや弱みもより鮮明になっていった。

 

 

 

その一つの自己認識として、どうも僕は周りと逆の行動を取ろうとする傾向があるらしい。

 


みんなが元気のない時はひとりでもテンションを上げていけるし、逆に周りがうるさいと声を発しようとしない。

 


ただ、その割に日本人の特性である「察する力」「理解する力」「汲み取る力」がかなり高いらしく、このせいで仕事中にも潜在顧客の考えていることを先回りして考え、それに良い意味で驚かれることも悪い意味で驚かれることも多い。

 


そして、どうやらこの特性は日常会話レベルでも発揮しているらしく、同僚と会話している中で、その発された言葉の向こうにある思考的な部分も踏まえて言葉を返しているらしく、故に話が噛み合わないことも多い。

 

 

 

 


こういった事実に気づけたおかけで、自分に「伝える力」が足りていないということに気づけた。

 


そして仕事の中で訓練しているうちに、少しずつではあるが「伝える力」はついてきている。

 

 

 

自分の知らなかった強み、新たな弱点とその改善

 

 

 

新たな自分に出会えたこと、それが僕が営業をやっていたからこそ認識できたことだと思っている。

 

 

 

そうして、4ヶ月が経とうとしている。

 

 

 

そんな中で思うことは、会社のビジョンや考え方が自分のそれらとは全く噛み合っていないということだ。

 

 

 

会社は超実力主義で、チームプレーではなく個人プレー。同期を蹴飛ばしてでも結果を出せ、そうすればポストを用意してやる。

という考え方を持っている。

 


一方で僕は、個人と個人から生まれるシナジー、つまりチームプレーを重視し、そのチームを僕がマネジメントし、みんなで評価をされよう。

という考え方なのだ。

 

 

 

 

 

 

そして気づかされたこと、気づいたこと

 

 

 

 


どうやら僕らは、採用や選考の段階から営業をかけられていたらしい、と。

 

 

 

入社前と入社後のギャップは、数え切れないほどあった。

 

 

 

そのせいもあって、新卒の3割は別の地に羽ばたき、中途社員も入っては辞めてを繰り返す人材の出入りが激しい職場になっている。

 

 

 

ここでの未来は僕にあるのだろうか。

 

 

 

会社にとって人材とは、とても大切で貴重な存在であり、成長に最も必要なリソースである。

 

 

 

これは、小さい企業であろうが大きな企業であろうが価値は変わらないはずだ。

 

 

 

特にベンチャーであれば、その質や数は企業の成長を大きく左右する存在になりうる。

 

 

 

僕は、そんな存在になりたい。

 

 

 

だからこそベンチャー企業を選び、自分が最もやりたくない営業職の戸を叩いたのだ。

 

 

 

 


しかし、僕が孤島から大陸へ向かうと思って飛び乗ったこの船は、大きな島にたどり着くエネルギーなどない中で「大陸に行こう」と掲げていた船だったみたいだ。

 

 

 

今の仕事先の状況は、沈んでゆく船から漕ぐ人員が減っている中で、大陸を目指せと言われ船を漕いでいるのに似たような状況にある。

 

 

 

予算もへったくれもない。

ストックフローのビジネスをしていて、

市場が飽和したらどうなるかなんてわかるはずだ。

 


大学生の頃の僕だって、そんなことはわかる。

 


そしてこの商材から手を洗えないこの会社は、その商材の急速な需要が偶然当たって、偶然成長したベンチャー企業に過ぎないということだ。

 

 

 

そして何より面白くないのは、企業という組織にもかかわらず、個人プレーでしか評価しないことである。

 

 

 

僕は一人で仕事をするのではなく、組織にいる皆で何かを創り出し、その創り出したもので会社を大きくしていきたいのだ。

 

 

 

評価は、その時してくれればいい。

 

 

 

 


自然人がひとりで生きられないのと同様、法人もひとりでは生きられない。

 


だから様々な企業と繋がり、様々な人と繋がるのだ。

 

 

 

それでは、なぜひとりの力だけを上げようとする?

 

 

 

 


AIが急激に台頭するこの時代に、本当に必要な能力はなんだろうか。

 

 

 

営業力か?

交渉力か?

 

 

 

いや、ぼくはそれらすらもマネジメントするマネジメント力だと思っている。

 

 

 

それではもう一つ考え込んでみて、

 


マネジメント力をつけるのに必要な力やキャリアは何なのだろうか。

 

 

 

 


ぼくが欲しいのは、ここの考えだ。

 

 

 

 


ぼくがマネージャーに至るまでのキャリアとして、どの進み方を選ぶことが、自分の価値観にとって会社のビジョンにとって社会への貢献にとって最適になるのか。

 

 

 

それをひたすら考えて、仕事をしている。

 

 

 

そして、今回出た一つの答えが

今働いている企業でのキャリアは自分の価値観にあったものではなく、社会が目指している理想の姿でもない。

 

 

 

 

企業が新入社員の採用時に営業をかけた結果、優秀な社員が辞めようとしている。

働き甲斐のない人には、生き甲斐もない~21世紀時代の生き方

 

 

「こういう仕事がしたい」

「ああいう働き方に憧れる」

「そんな風になってみたい」

 

 

 

あなたには、自分の理想する働く姿がありますか?

 

 

 

人が理想を作り出す所以は、

そこに自分の人生においての

強い価値を感じるからです。

 

 

 

年収1000万円プレーヤーを理想とするのなら、その人は人生においてお金に強い価値を感じています。

 


ホワイト企業に勤めることが理想ならば、その人はワークライフバランスに人生の価値観をおいています。

 


海外勤務への移住を理想としているのならば、ゆったりとした暮らし、つまり時間に大きな価値観を感じています。

 

 

 

このように、人生の価値観(生き甲斐)は人によって様々なのです。

 

 

 


一方で、どんな人にも共通していることはあります。

 

 


それは「生きるために食事をとること」です。

 

 

 

デカルト風にいうと、

「我あり、故に我思える」

 

 

考えることのない植物たちには、自分の理想はありません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/dai88/20190512/20190512085430.jpgより引用)

 

 

 

 

人間は生きなければ、理想を語ることも理想を思うことも当然ながらできない。

 

 

 

 


そして人間界では、食料を手にするためには対価として「貨幣(お金)」を支払う必要があります。

 


つまり、生きる上でお金は必須なのです。

 


そして、そのお金の多くは「働くこと」で手にすることができます。

 

 

 

わかりやすい式で表すと、このようになります。

 

 

=======
生きる=食事をとる

食事をとる=お金を得る

お金を得る=働く

=======

 


つまり、人間は生きるために働く必要がある

 

 

 


基本的には、働かなければお金は手にできないし、それではご飯は買えないし、そうなれば生きて行くことができない。

 

 

 

生き甲斐を語る上で、働き甲斐は無視することができないのだ。

 

 

 

働き甲斐を感じられる人は、生き甲斐を感じられるし、逆に生き甲斐を感じられている人は間違いなく働き甲斐も感じている。

 

 

 

 


そこで、あなたに問いたい。

 

 

 

 


「あなたの生き甲斐とは何ですか?」

 

 

 

この問いにはっきりと答えられない人は、自分の生き甲斐を理解できていない。

 

それはつまり、働き甲斐も感じられていないということでもある。

 

 

 

人生において、自分が何に最も価値をおいているのかを考えることは、自分の生き甲斐を考えることであり、それはつまり働き甲斐を得ることでもある。

 

 

 

特にモノが飽和して豊かさが溢れかえっている現代では、自分の生き甲斐から全てを考えないと、幸福度は上がらない。

 


昔のように、荒野に文明を再生させようと躍起になっているわけではないから、働き甲斐を生き甲斐にするのは難しい。

 

 

 

鶏と卵論的に言えば、現代では生き甲斐を前提とした上で働き甲斐を求めなければ、自分を幸せにすることはできない。

 

 

 

 


日本の教育過程では、働き口を探す機会は存在するのに、生き口を探す機会は存在していない。

 

 

 

つまり、多くの人が生き甲斐を見つける前に働き甲斐について考えさせられているのだ。

 

 

 

まさに、平らでない土地に建物を立てようとしているようなものだ。

 

 

 

 


これについては、誰が悪いというのはない。

 

 

 

個人が生き甲斐を考えないのも悪いし、

企業が働き甲斐だけを提供しようとしているのも悪いし、

日本の就活制度も悪い。

 

 

 

けれど、責任転嫁をしていたって生き甲斐を誰かが提供してくれるわけではないし、勝手に働き甲斐を感じられる職場で働けるわけでもない。

 

 

 

自ら働き甲斐を求めて、そのために生き甲斐を見つけなければならない。

 

 

 

 

 

 

 現代人(人間)の仕事は、自分の生き甲斐を見つけることから始まると言っても過言ではないだろう。

不安との戦い方〜「未来・現在・過去」時間軸の捉え方ですべてが変わる

「いずれは起業したい」

ベンチャーで若いうちから成果を出したい」

「豊かな暮らしがしたい」

 

 

上昇思考の彼は、

自らの成功を願って

新卒でベンチャー商社に入社した。

 

 

営業経験はなかったが

なんでも卒なく熟せる彼は

入社2ヶ月目にして

営業成績が評価され

上級商材部門に異動した。

 

 

このまま行けば

兼ねてからの望みが

早々に叶う可能性はあった。

 

 

だが、いつからか

彼の歯車は狂い始めた。

 

 

 

成長意欲の強い彼は

忙しい仕事の傍ら

毎朝就業開始より

1時間早く来て

カフェで哲学していた。

 

 

そんな日々はもうすぐ

4ヶ月経とうとしている。

 

 

そんな中

日常的に思うことがあった。

 

 

「何故この会社で働いているのだろうか」

 

 

確かに上昇思考はあったが

ここにいる上司のように

周りを押し退けてでも

上を目指そうという

気概はなかった。

 


 

基本的には

出世している上司を見て

会社で成功している人材を

把握することができるが、

僕はここの上司を

あまり好いていない。

 

 

確かに良いところもあるが

それ以上に悪い面が見えすぎているのだ。

 

 

その好かない姿に自分がならないと

もっと昇進できないのかと思うと

この会社自体が合わない気がしてきた。 

 

 

そう、

 

「働く環境が合っていない」

 

 

直感でそう感じたのだ。

 

 

 

 

上司らは

顧客に対しても、社員に対しても

ただの数字という解釈しかしない。

 

 

確かに評価制度は充実しているが

それらは全て数字によるものだ。

 

 

つまり

営業で成果を挙げたものだけが

この会社では正義なのだ。

 

 

この超実力主義の会社では、 

もちろん正義になれない者は去っていく。

 

 

ちなみに4月に入社した新卒のうち

すでに3割が去っている

 

 

これはあまりに悲惨な現実だ。

 

 

しかも中には

上司に仕事をするのが辛いと

相談に乗ったその日に

退職を告げられた仲間もいる。

 

 

これは明らかに

会社に問題があることを証明している。

 

 

そんな中で僕も

現職に疑問を持ち始め

転職活動を始めた。

 

 

しかし、始めて一週間

結果的に転職することを辞めた

 

 

その理由は単純で、

自分のやりたいことが

定まっていなかったからだ。

 

 

ジャンプする先が決まっていないのに

ジャンプしたところで

そのジャンプは不毛に終わる可能性が高い。

 

 

それならば、

次に乗り移る先を決めてから

ジャンプをし始めた方が良い

そう考えたのだ。

 

 

だからまずは今の会社で

営業スキルを身に着けながら、

自分のやりたいことを探していこう

と考えた。

 

 

 

それからの毎日の

カフェでの哲学は

「天使と悪魔の墳墓」続きだった。

 

 

「この会社に来たことは正解だ」

「この会社に来たことは間違いだ」

「ここでまず一年頑張ろう」

「今すぐやめたほうが自分のためだ」

 

 

対象的な自我がぶつかり合い、

考え事ばかりが増え

次第に疲弊していった。

 

 


そんな悩みの日々のせいか

ここ最近、体の調子がどうもおかしい。

 

 

一週間ほど前から

日常的にふらつくし

めまいはするし

時折吐き気もする。

 

 

小中高と皆勤賞だった僕だが

つい先日は会社を早退し

ついには昨日、欠勤までした。

 

 

 

もはや身体の問題ではなく

精神の問題かもしれない。

 

 

 

考え得る病は

自律神経失調症

うつ病

 

 

 

認めたくはないが、

僕にはいくつかの

うつ病の初期症状が

出始めている。

 

 

まだ医者にかかってはいないが

おそらく診断を受ければ

うつ病」と告げられるだろう。

 

 

 

しかしそんな今、

こんなことを考えている自分がいる。

 

 

 

〜今の職場で仕事をしたくないから、

うつ病になろうとしているんじゃないか?〜

 

 

 

おそらく世の中の

うつ病患者は

僕よりよっぽど

辛い経験をしているはずだ。

 

 

破滅的な労働環境に身を置くことになり

重なるストレスでうつ病を発症し

仕事ができなくなった。

そういう人が多いはずだ。

 

 

 

つまり僕と彼らとでは、

「鶏と卵論」的には

全く真逆なのである。

 

 

 

確かに僕は

今の職場環境と

体質的に合わないが

何かハラスメントを

受けたわけではない。

 

 

 

ならば、なぜ鬱の症状が出ている?

 

 

 

その理由が全くわからなかった。

 

 

 

だから欠勤した昨日

療養と合わせて哲学した。

 

 

 

その結果、

 

今の企業の不安定性

自分の将来の不安を感じてるのではないか、

という仮説が立てられた。

 


そしてそこから来る

過去の自分の決断への後悔の念が芽生え

自責を抱えすぎたのだろう。

 

 

 

確かに今の企業は不安定で

先行き不透明で心配だ。

 

 

 

けれどそれって

ベンチャーであれば当然のことだし、

このご時世大企業に入ったからといって

安定性が担保されているわけではない。

 

 

 

つまり、自分に甘えていただけなのだ。

 

 

自分に都合がいい解釈ばかり

望んでいたのだ。

 

 

 

 

 

長い未来を考えれば考えるほど、

人間の心配は強くなる。

 


なぜなら、

今という時から時間が遠いほど現実性が働かず、

不透明性ばかり強くなるからだ。

 

 

 

「バブル世代とミレニアル世代とで

どちらの方が戦争への意識が強いか」

そう聞かれたら、間違いなく前者だろう。

 

 

 

なぜなら、時間軸上では

バブル世代の方が戦時により近いからだ。

 

 

 

そして

過去と同様に未来も、

今という時から時間軸が離れるほど

正しい視線で視点で物事が見られなくなる

 

 

 

確かに

ネガティブな事象が起こった時は、

遠い未来や過去の自分のことを考え

充実している日々を想像・思い出すことが

鎮静するにあたっては正しい。

 

 

 

しかし

ポジティブな事象が起こった時に

同様の捉え方をすれば、

逆にプラスの部分が抑制されてしまう。

 

 

 

ホリエモンも口々にしているが、

「今を生きろ」とは

そういうことなのだ。

 

 

 

一週間後

一ヶ月後

半年後

一年後

二年後

十年後

 


時は今から遠ざかるにつれて

未来像が予見しにくくなる。

 


だから

未来起こるかわからないことに

くだらない心配をしているよりも

現在というまぎれもない

現実性しかない時間に集中し

生きていく方が正しい

 

 

 

 


不安への正しい対処法を知らなければ

僕のように人生の分岐点で

その不安を煽られ

詐欺に遭う可能性が高まる。

 

 

 

そのくらいに

不安という人間の幻想は厄介なのだ。

 

 

 

不安こそ、幻想だというのに…

僕は何故働いている?〜あなたは何故働いている〜

 

「年収1000万円」

「5年で部長職」

「絶世の美女と結婚」

 

 

仕事でのキャリアを通じて

実現したい夢というのは

人によって様々である。

 

そして、改めて考えると深い。

 

 

〜人はなぜ働くのか〜


https://www.motivation-up.com/whats/images/mean_ogp.jpgより引用)

 

 

 

この記事を読んでいるあなたが

もし学生でないのならば、

おそらく誰に言われるでもなく

働いているはずだ。

 

(いや、たとえ学生であっても

将来的には必ず仕事に就くだろう)

 

 

そんな社会人のあなたに問いたい。

 

 

あなたはなぜ働いている?

 

 

 

僕は今年の4月

新卒でベンチャー商社に入社した。

 

僕が入社した理由は

冒頭に挙げたような

周りの同期や上司たちの

それとは少し異なっている。

 

 

========

僕は営業が嫌いだった。

だから、あえて営業職についた。

========

 

 

これが、今の企業に入社した理由だ。

 

 

 

生まれてきてからずっと

僕には逆転の発想がある。

 

=======

・嫌いなことに挑戦する

・できないことはできるようにする

・嫌いなものも食べる

・だけど好きな食べ物は一番最後

=======

 

 

こうして僕は、自分の

欲を抑制する能力が人一倍ついた。

 

 

営業に対しても同じ考え方で、

基本的に人間が嫌いだと思っていることは

ただの固定概念で、実際やってみれば

面白さや楽しさを感じるだろうと

僕は思っている。

 

 

大学生だった、僕はそう考えたのだ。

 

 

そうして入社して2ヶ月目の月に

同じ課の同期の中で営業成績が

トップになり、それが評価され

難易度の高い商材部署へと

早くも移動した。

 

 

それからある日、一風変わった

僕の同期が会社を去った。

 

 

彼は会社への不満を露わにしていた。

 

 

自分の性分会社の(営業)スタイル

水と油だったらしく、

対峙するお客さんを

数字の1や売上でしか見ない

その考え方が嫌だったと言う。

 

 

これに関して、僕は激しく同意した。

 

 

いくらベンチャーといえど、

社員もエンドユーザーも

数字でしか考えていない

そんな姿が僕は嫌だった。

 

 

そうして僕は、転職を決意した。

 

 

 

だが転職を決意し、転職活動をした時

日本のある社会通念を知ることとなった。

 

 

正規雇用

第二新卒に任される仕事は

営業福祉機械業IT

だと言う。

 

 

正直、僕はどれをやるにしても

楽しいとは思えないと思った。

 

 

 

少し考えた挙げ句、

それならば嫌いな営業だけど、

将来的に必要になるであろうセールス力を

今の商社でつけて、

 

営業力をつけて、、

 

 

僕はどうしたいんだ?

 

 

 

改めて考えさせられた。

 

~自分のやりたい仕事は何なのだろうか~

 

 

そう、僕にはこれといった

やりたいことがなかった。

 

 

「なんの仕事がしたい?」

「営業がしたい」

「なんで営業なの?」

「営業が嫌いだから」

「営業を通して何が学べると思う?」

「セールス力」

「そのセールス力を使って何がしたい?」

「…」

 

僕は自分への4つ目の質問に

答えることができなかった。

 

 

 

だから僕は、ある決意をした。

 

 

======

やりたい仕事が見つかるまで

今の会社で営業力をつけることに

専念しよう

======

 

 

そして転職を考えてから1ヶ月間、

毎日カフェで哲学をしていて

気づいたことがある。

 

 

それは、僕には

=======

やってみたいことはたくさんあるが

やりたいことは特にない

=======

 

これは、紛れもない事実だった。

 

 

だから、おおよそ考えられることとして

僕のやりたい仕事は今後

一生見つかることはないだろう。

 

 

 

ならば、どうするか?

 

 

 

やりたいことがないのなら、

自分ができること

自分がすべきこと

誰かに求められていること

誰かを救えること

そんな仕事をしよう。

 

 

 

せっかくフェアトレードタウンを

運営しているのだから、

貧困に携わる素晴らしい仕事をしよう。

 

 

僕たちは、日本という

ご飯もお金も教育も福祉もある

こんなに裕福な国で

暮らせている。

 

 

けれど世界には

そうではない人たちが

たくさんいる。

 

 

ならば僕のすべきことは、

その貧困をなくすことだろう。

 

 

僕はそう悟った。

 

 

基本的にというものは、

社会観念や自身の経験から

生まれてくるものだ。

 

 

しかし僕の場合、

欲がほとんどないから

目標を考えるのは一苦労だった。

 

 

そして、ここまで読んで

わかっていただけたと思うが、

 

======

「want(したいこと)」のない人にも

「should(すべきこと)」や

「can(できること)」は

必ずある

======

 

 

目標がすべて「〜たい」から

決まっていると思ったが、

哲学してきた結果、

目標は「〜すべき」「〜できる」からも

生じうるということがわかった。

 

 

 

僕が今回伝えたかったことは、

僕のようにやりたいことがわからない人にも

「やるべきこと」「やれること」はあって、

それを目標にすることは、社会にとって

非常に素晴らしいことなんだということだ。

 

 

僕は、天才にはなれない変人だ。

つまり、凡人である。

だけど、自分が凡人であることを

認めたくはない。

だから、一時自分が凡人であることを認め

できることの少ないこの両手で、頭で、足で、

世界をより良いものにしていきたい。

 

もちろん僕一人の力では

こんな大きな問題は太刀打ちできない。

 

 

必ず多くの人の力が必要になる。

 

 

そうやって「〜べき」「〜できる」から

結成された組織こそ、

本物の組織だと僕は思う。

 

 

そして今の営業の経験は、

この組織作りのための

仲間集めのためのツール

大きな役目を果たすであろうと

今では思っている。