賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

僕は人生学を「GACKT」から学んだ。

こんにちは。とーまです。

 

実は明日、7年ぶりにディズニーに行くんですよ!!なので、今日は2つ記事を書こうと思います。

 

僕は、高校3年生のときから「GACKT」さんを好きになりました。もともと僕は音楽が好きで、けれど流行する音楽とは無縁の感性を持っていました。かつては「尾崎豊」の世界観に惹かれ、カラオケでよく歌っていたものです。若気の至りというやつですかねw

 

そして大学受験を控えた頃、僕は自分の将来について初めて考えるようになりました。ちょっと変わっている一般人が、どうやったらすごい人間になれるのかをとにかく考えていました。そして毎年始行われている「芸能人格付スペシャル」という番組で「GACKT」さんを知りました。あまりにも完璧で、僕はこんな素晴らしい人間になりたいと直感で悟りました。そうしてまず、「アーティストGACKT」を好きになったのです。

 

僕が求めていた音楽は、彼がすべて創り出していました。これが本当の芸術なのかと、その当時は見る見る間に「GACKT」さんを好きになっていきました。

 

「この人の才能はすごい」

「僕もこうなりたい」

 

ただその一心だけでした。

 

けれど、その時初めて考えさせられたことがあります。

 

才能」って何なのだろう。。。

 

僕は高校卒業まで12年サッカーをしていました。けれどなぜか、歌のセンスが昔からありました。

 

「僕には歌の才能があるのだろうか」

 

そう思ったことが、「才能」について初めて考えることになったきっかけです。

 

 

 

今でこそカラオケで90点取ることは簡単になりましたが、当時は90点を超えることも稀でした。それから「GACKT」さんの音楽を目の前にして思ったこと

 

それは、「僕には音楽のセンスはあるけど、才能はないのだ」ということでした。

 

僕と彼との間には、プロとアマ以上の差があるように感じました。そして行き着くわけです。

 

「ボーカリストの差」以前に、「人間力の差」があるということに。

 

「才能」という言葉は、結果が表出化されて初めて見えるものです。

 

しかし、その才能のある人は結果が出るまで多大な努力をしているのだということに気づくわけです。

 

GACKT」さんは確かに「才能」があります。

 

では、どんな才能があるのか。

 

努力の才能」です。

 

 

 

これに気づいた頃から、僕は成功者はみな努力をしているのだということに気づきました。それに気づいてからの僕は、ものすごく変わったと思います。

 

そして僕は、「何かを得るためには行動に主体性が伴う必要がある」という教訓を確立させました。しかしそれが理解できていながらも、いままで18年間は受動的に他者に依存して生きてきたわけですから、そう簡単にはいきませんでした。だから僕は大学入学当時から、就活のときに必要になりそうなものを考え、そのときに大きく変われるようにと準備をしました。実際にやっとことは、

 

・バンドサークルに入部

・カラオケで練習

・読書など、

 

いままでやったことのないこと、できなかったこと、苦手だったこと、逃げてきたことから目を背けずに、挑戦するようになりました。これらの積み重ねが、実際に就活で本当に役に立ちましたし、思い通り就活で大きく変わることができました。

 

 「今すぐはじめて大きく変われ」と口々に言うインフルエンサーが最近増えてきたと感じますが、僕はそうは思いません。「変わる」ということは大きな負荷になり、それは少なからず「ストレス」になります。もともとメンタルの強い人ならそれもできるのでしょうが、それができるのはほんの僅かです。

 

 「ウサギとカメ」という話があります。

 

 ウサギは亀を見て走ります。

 

 では、カメは何を見て進んでいると思いますか?

 

 

 

 

 

 

    ゴールです。

 

 

 

 

 

 ウサギは他者と競い、カメは自分と戦うのです。僕はこの「カメの生き方」が本当に美しいと感じますし、だからこそ今の僕はマインドをぶらさずに生きていけるようになりました。これは誰かから教わった考え方ではなく、自分が色々行動しているうちに、ある点とある点が結びついてできた線です。つまり、自分から生まれた「価値観」です。今思うと、自分の中から生まれたものが一つでもあると、生きることに自信がつきますし、何事もうまくいくとポジティブになれます。僕の場合、それらに至れた原点が「GACKT」さんでした。あらゆる考え方・価値観をトレースして、少しずつ自分の色に変えていきました。

 

 そうして残った個性(彼の考え方と僕の考え方の分離点)は、やはり「男性と女性」の考え方でした。(前回の記事を見ていただけると幸いです)

 彼は亭主関白で、「女性を守るために男性は生きるのだ」という哲学を持っています。けれど僕の哲学は彼と違っていて、「女性も男性も、互いの強みで互いの弱みを補い合うパートナーの関係」が人間には必要なのだと考えています。

 

 そうやって互いが互いを思い合って、そして高め合うことで二人の間にはシナジーが生まれますし、そうすれば人間性も成長していきます。

 

 生物の大きな枠組みで言えば、「成長」は「進化」です。上昇志向のない人間は、淘汰されます。これは「進化論」からわかっていることです。だから僕は、強い志を持って何事にも挑戦しようという姿勢を止めないのです。

 

 ただ、僕は他者の考え・意見・価値観を尊重しますし、否定しようとは絶対にしません。けれど、合っている間違っているにかかわらず、意見は言います。それは合っている間違っているの次元の話ではなく、僕はそこから新たな考え方・見方・価値観が生まれることに期待しているからです。つまり、シナジーです。

 

 二者が互いを認め合えないのならば、それは1+1=2にしかなりません。そうすれば、発揮できる力はAさんは1にしかならないですし、Bさんも1のままです。けれど、互いが違う見方を尊重し合える中であるのなら、個人では1かも知れませんが、二者が相まみれた時そこには2以上の力が生まれます。言うなれば「フュージョン」です。

 

 僕は非常に合理的な考え方のもとで生きているので、2にしかならない関係よりも、2以上になる関係を望みます。「Win-Win」は本当に考え方の全てだと思います。そのためにはまず自分がWinとなって、「ギブアンドテイク」の「ギブ」を試みなければなりません。Win-Winに至るまでには、多少のWin-LoseやLose-Winは生じてしまうものです。僕は独り占めをしませんが、僕以外の人は必ずしもそう考えてはいません。だから僕は、「貢がれる」ことだけを考えている人間に、自分が無駄な「ギブ」をしないような人間を見る目を養うために、独学で心理学を勉強しています。

 

 生まれつき人を見抜く能力に長けているみたいで、心理学は性に合っていました。心理学は相手を騙す悪い学問というイメージがあるかも知れませんが、それは一部のWin-Loserだけです。そのような人に騙されないためにも、心理学は勉強する価値があると思います。

 

 

 

 ここまで多々書いてきましたが、結局何が言いたかったかというと、僕がここまで大きく変われたのは「GACKT」とという人生学の長に出会えたからです。その人を真似して、少しずつ変えていって、そして今こうなっています。「守破離」というやつですね。今日皆さんにお伝えしたかったことは、たった一つ。

 

「人生の長を見つけよ!

そして、その人のすべてを真似ろ!」

 

ということです。

 

これが、自分の人生を豊かにできるマインドを獲得する唯一の方法、だと僕は考えています