賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

日本から体罰はなくならない

こんにちは。

 

とーまです。

 

 

 

昨日かな、Twitterで中国の教師の生徒への体罰の動画が流れてきました。

 

 

 

「ひどい」「日本よりやばい」

 

 

いろいろな声がありました。

 

 

 

 

 

 

なぜ、体罰はなかなか根絶されないんでしょうかね。

 

 

 

 

 

少し前には、日大の問題がありましたね。

 

 

 

 

僕は文化人類学の勉強をしたことがあったので、ここらの問題を違った視点で見ることができました。

 

 

 

 

 

結論から言えば、体罰はなくなりません。

 

 

 

 

同様になくならないと考えられるのは、

 

 

 

いじめ

麻薬

淫行

アルコール

 

 

 

このあたりもなくなることはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

では、なぜそう言えるのか説明していきます。

 

 

 

 

 

 

 

これも結論から申しますと、彼らがこれらの行為に、加入儀礼通過儀礼の意味合いを持たせているからです。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、

 

 

 

 

 

 

「何かを得るために苦しみや困難を経験した人のほうが、それを経験していない人よりも、得たものの価値を高く見積もるようになる」ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめや体罰がなくならない理由は、その慣習が特定のコミュニティ内で過去から続いているものだからです。

 

 

 

 

 

 

わかりやすくすると、こんな感じです。

 

 

 

 

 

 

A「強くなりたいか?」

a「はい!!」

A「ボコッ!!(殴る)」

a「何するんですか?!」

A「これはお前が強くなるためだ!」

a「…」

 

数年後…

 

a「師匠!あなたにあの時入れてもらった喝のおかげで、全国制覇できました!」

A「そうだろ?wお前はまだまだ強くなれる。俺が強くしてやる!!」

 

 

 

 

 

こんな感じです。

 

 

 

 

 

 

各々どの競技・分野をイメージしたかはわかりません。

 

 

 

あなたが何をイメージしたか知りたいです。コメントしてくれますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の例でおわかりいただいたと思いますが、

 

いじめの主導者はいじめているという自覚は全く無く、むしろお前のためにやってやってるくらいに思っているんです。

 

もっと驚きなのが、過去にいじめを受けていた人も、あの時ああいうことがあったから今の自分があるんだ、と過去の経験をストーリー化して、一貫性をもたせようとしてしまいます。

 

 

 

この一貫性の心理は、人間には必ず備わっているものなので、ある意味抗いようがありません。

 

 

 

 

 

「知識は積み重ねだ」というのと同じです。

 

 

 

 

これをいうと、皆さんは書物を積み重ねた画を想像されたと思います。

 

 

 

 

 

その積み重ねこそ、一貫性です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、僕は知識の行き先はブラックホールだと思います。

 

 

 

覚えれば覚えるほど、無限に入っていきます。

 

 

 

そして、それらを結びつけて取り出すホワイトホールこそ知恵だと思うのです。

 

 

「知識」と「知恵」の違いについては、僕の一つ前の記事にありますのでぜひご閲覧を。

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

 

 

 

これら地獄の習慣は、日本を離れて諸部族社会には未だに存在しますし、日本でも過去にアイヌ民族が似たような通過儀礼を行っていました。

 

 

実際それらを慣習とする伝統は受け継がれませんでしたが、スポーツ界やビジネス界に違った形で遷移しています。

 

 

 

 

ガンの転移と同じです。

 

 

 

 

しかもこの慣習の怖いところは、他者から制裁があったとしてもその時は「やめます」と威勢のいいことを言いますが、影では続いているということが当たり前になっています。

 

 

 

 

 

 

隠れキリシタンと一緒ですね。

 

 

 

 

 

つまり、真の変化ではなく上辺だけの変化になっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

日本人の特技ですよ。

 

 

 

 

 

秘技「猫かぶり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上のような理由で、日本でいじめや体罰などの通過儀礼がなくならない、と僕は考えています。

 

 

 

 

 

日本は平等平等うるさいくせして、こういう場面では全然平等じゃないですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕にとっての平等は、Win-Winの関係であることです。

 

 

 

 

そのための一時のWin-LoseやLose-Winは仕方ないと思います。

 

 

 

けれどこのWin-Loseの関係で起こりうる通過儀礼が、未だに多すぎると思います。

 

 

 

 

男女は平等ではありませんし、命も平等ではありません。

 

 

 

 

 

この考え方に至れることこそが、平等の考え方を持つものだと思います。

 

 

 

 

偽善平等主義者やどこかの宗教の信者はきっと反論すると思います。

 

 

 

 

 

けれど事実、人の価値は値段にできませんし、過去の功績から現在の価値を算出するベンチャーキャピタルのようなものも存在していません。

 

 

 

 

だれも自分の価値がどのくらいのものなのかはわかりません

 

 

 

 

 

だから人は、年収1億円だとかこんな美女と結婚したとかで、他者から認められようとするのです。

 

 

 

 

 

 

 

はい、そうです。

 

 

 

 

 

 

承認欲求です。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、価値というものは他者の存在があって初めて生まれるものです。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、地球上にあなた一人だとします。

 

 

 

 

 

 

 

その時の、あなたの価値ってなんですか?

 

 

 

 

 

 

 

日本人のあなたが仮に貧しい国へ援助に行ったとします。

 

 

 

 

 

 

 

そこでのあなたの価値ってなんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

価値の定義というのは、あなたが所属するコミュニティによって変わっていくものです。

 

 

 

 

 

それは他の生産物においても同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本においてのお米の価値と、途上国においてのお米の価値が違うのと同様です。

 

 

 

 

 

 

最後の方は話が脱線してしまいましたねw

 

 

 

けれど僕は、書き始めは何を書こうか決めていますが、終着点をどこに置こうかは全く考えていないので、話がほうぼうに広がってしまいます。

 

 

 

ゼミの先生にもよく言われます。飛躍しすぎだとw

 

 

 

 

 

 

でもそれって、おそらく僕の強みであり、価値ってことですよね?

 

 

 

 

だから僕はこのスタイルを変えていこうと思いませんし、むしろいままで以上にこの型で突き進んでいこうと思っているくらいです。

 

 

 

 

僕のブログは「パラダイムシフト

 

 

 

 

10人がりんごを見て、それぞれ感想が違うのと同様に、僕のブログを見てくれている皆さんに、少しでも違ったものの見方がある・できる、ということを伝えるために書かれています。

 

 

 

 

 

 

ものの見方が周りとは特に違う・変わっている 

 

 

 

 

 

これが僕の強み 

 

 

 

 

 

 

そしてその強みを活用する 

 

 

 

 

 

 

 

それも僕の強み 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの強みはなんですか?