『白黒理論』の哲学
「白を知りたければ黒を知り、
黒を知りたければ白を知れ。」
営業商社に入社してから、
もうすぐ半年が経つ。
僕は営業が嫌いだった。
けれど、だからこそ
あえて営業でも厳しい商社を選んだ。
さて、この世の中に
こんな選択をする人はいるのだろうか。
こんな選択ができる人はいるのだろうか。
そうやって自分の特別感に浸らないと
自分が壊れそうになるような
激務の日々を僕は過ごしている。
けれど、そう悲観することもない。
なぜならこれは
決して自慢話をしているわけではなく、
僕は自分の足りない力を
補うためにする努力ができるという
事実なのだから。
これまでもそうだった。
僕は小学生時代、サッカーが下手で
試合にほとんど出してもらえていなかった。
地元のクラブで試合に出られなかった僕は、
エスペランサという
アルゼンチン人監督が率いる
サッカースクールに通って
上達する術を他にも用意してもらった。
するとそこでは
ディフェンダーの適性を見出されて、
なんとA〜Dあるチームの
最上位のAチームのサイドバックを
務めるようになった。
もともとディフェンスが苦手で
ディフェンスをしなくていい
フォワードを地元のクラブでは
プレーすることが多かった。
しかも中学に上がる時のセレクションでは
地元クラブでは万年ベンチだった僕が
合格してしまった。
親も疑問感じていたみたいだが、
監督に聞いてみたところ
「予測が早い。反応が早い。インターセプトが上手い。インテリジェンスなプレーヤーの特徴です。だから合格になるのは当然でしょう」
そう言われました。
この時が、人生で初めて成長を感じた場面だったと思います。
自分が苦手だと、嫌いだと思っていたものも
意外と自分の適性に合うものだと、初めて知ったのです。
その頃からですかね、
僕が、苦手なことや
やったことのないことに
挑戦するような選択を
心がけるようになったのは。
何故そうするかって?
簡単です。
「成長を強く感じられるから」
やったことがある人は多いと思います。
例えば、
1レベルのポケモンのレベルを
10にまで上げるのと
50レベルのポケモンのレベルを
60まで上げるのとでは、
どちらが成長を強く感じるでしょうか?
もう一つ例を。
0歳が10歳になるのと
50歳が60歳になるのと
どちらが成長を強く感じるでしょうか?
おそらく100%近い人たちが
満場一致で前者と答えたはずです。
成長の難しさを考える時、
0→1になるのと
30→31になるのとでは
それが大きく違います。
今まで経験したことのない分野で
つまり経験0の環境で
これを1にすることは
大変難しいことです。
これは会社の起業後の存続率や
人間の年齢ごとの死亡率などを考えれば
理解が早まると思います。
先ほどの僕の例で言えば、
ディフェンス経験0だった僕が
2年間ディフェンダーとして
練習を繰り返したおかげで
ディフェンダーとして
セレクションに合格したわけです。
成長を感じることは
生きているという実感になります。
そして逆に、
人は自分の成長を感じられなくなると
生きることに楽しさを感じなくなります。
歳を重ねていくと
成長を感じることは難しくなり、
むしろ相対的に
退化を強く感じることになるでしょう。
ただ、一方で、
僕と逆の考え方をする人もいるでしょう。
自分のできることをやり続けていく
得意分野をさらに得意にしていく
そういう考え方です。
たしかに、AI時代が近づく現代では
一つの専門性に特化した方が
市場評価は高いのかもしれません。
しかし、もし仮にその武器が取り上げられるような事態が起こったら?
AI時代で代替される仕事はたくさんあります。
もしそんな取って代われる仕事の分野に
自分が精通しようとしたところで
10年の努力が無駄になってしまう。
だからこそ、僕はさまざまな分野に
顔を出したり挑戦をしたりしている。
サッカーができなくなっても
野球ができる。
野球ができなくても
バスケができる。
バスケができなくても
卓球ができる。
卓球ができなくても
ダンスができる。
そんな、多才な人間でありたいと
僕は日々願っている。
世の中には「生物の多様性」ならぬ言葉が
存在している。
そして僕は、こうも考えている。
「人間こそ、多才であることを
許された唯一の生物なのだ」と。
他の生物ができて、
人間にできないことは
この地球上にあるのだろうか?
おそらくない。
いや、正確に言えば「なくなった」だ。
大昔は鳥のように空は飛べなかったが
今は飛行機が飛んでいる。
しかも、鳥たちよりも早く高く。
物資を運ぶ役割を
古来は馬や牛が担っていた。
それが今では
車や自転車、電車や船など
あらゆる輸送機関ができている。
我々人間は歴史の中で、
他生物にできて人間にできない
そんなウィークポイントというべき
分野でも具現化をしている。
「人間は不可能を可能にしてきた生物」
なのだと断念してよいだろう。
つまり人は、
「できないこと」
「できなかったこと」
「できないであろうこと」を
全てできるようにしてきたのだ。
この「人間の多才性」を僕は信じて
自分という一人の人間を創る上でも
その多才性を求めて生きてきた。
新卒入社では
もっとも自分の能力から遠いであろう
「営業」を選んだ。
受験の時は
数学:90
理科:80
社会:85
英語:80
国語:60
という点数幅で、
明らかに理系だったが
国語ができないからと
あえて僕は文転した。
また、大学入学当初まで
本なんて一切読んだことがなかったから
500ページを超える本を買って読んだ。
僕には人生哲学の一つとして
『白黒理論』という考え方がある。
これは僕が作った言葉だ。
どういう意味を示しているかというと、
自分が白であることを知るために
まず自分から一番遠い
補色関係の位置する黒から知っていく。
つまり、
自分から一番遠い存在を知ることが
自分という人間を知るためには
最も早いという考え方だ。
自分が黒であることを哲学すると、
紺よりの黒なのか
灰色混じりの黒なのか
わかったもんじゃない。
服を選ぶときに
こんな悩みを感じたことのある人は
きっと多いはず。
話を黒白理論に戻すと、
「黒を知りたければ、白を知れ!」
「白を知りたければ、黒を知れ!」
僕が人生を謳歌するために
最も大切にしている考え方だ。
あなたは、自分が大切にしている考え方を
何か一つでも持っているだろうか?
いや、持っているに違いない。
持っていないわけがない。
もしわからないのであれば、
過去の自分に聞くといい。
過去の選択が、自分の性格や選択傾向、
考え方や大切にしているであろう
価値観を必ず見出してくれる。
あなたは、未来を知りたいと思いませんか?
未来を知るためには、
まず過去を知らなければなりません。
『白黒理論』