賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』~「愛してる」と「好き」の哲学~

「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます」

by ヴァイオレット=エヴァーガーデン


http://anihonetwallpaper.com/image/2018/01/44096-Violet_Evergarden-PC.jpg

より引用)

 

 

 

あなたがアニメについて、

どのような価値観を持って鑑賞しているのかは

僕には到底わからない。

 

 

しかし、少なくとも僕は

アニメとは「哲学の宝庫」だと感じている。

 

 

哲学とは、

その人の生き方や考え方、価値観だ。

 

 

だからアニメを見ることは、

作者やファンの価値観を感じることになる。

 

 

 

今回の記事の題材となっている

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメは

「愛している」についての哲学が描かれている。

 

 

そして本記事の内容は、

僕が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン

外伝 -永遠と自動手記人形-』を

実際に鑑賞して感じたこと、

考えさせられたことを綴っていく。

 

 

 

 

① 「好きを伝える、愛してるを伝える」

 

 

そもそも僕がこのアニメを見ようと思ったのには、理由がある。

 

僕には「好き」と「愛」の違いがわからない。

もっと言えば、

異性を「好きになる」ということがわからない。

 

 

例えば、町中を歩いていて

とてもきれいな女性がいた。

「かわいい」と思った。

 

 

この感情は「好き」なのだろうか?

 

これが、ぼくにはわからない。

 

 

 

一方で「愛」に関しては、

ある程度の説得力ある解釈ができている。

 

 

「愛」というのは普通、表面上には出ない。

「愛されている」となんとなく感じるしかない。

「愛」とは、二者間の関係性の深さや親密さのこと。

そして「愛」という漢字を使った言葉はたくさんある。

 

愛鳥、愛犬、愛車、愛書、愛人

 

言葉から察するに、

「愛」とは、その「愛する」対象を

どれだけ大切に思っているのか

という指標なのだろう。

 

だから、普段言葉にしない「愛してる」を

手紙や言葉に綴ることは

大変価値のあることなのだと思う。

 

 

「愛」は言葉にしてもしなくても

無限に続く存在なのだ。

 

 

 

では、「好き」とは一体何なのだろうか。

 

僕も男の子だから、

過去に女性を「好き」になったことはある。

けれどそれを振り返ってみると、

その女性の何が「好き」だったのか

までは説明ができない。

 

 

ルックス、声、髪、匂い、背丈、シルエット、仕草

 

 

人を「好き」になるには理由があると思う。

 

けれど僕はまだ、

なぜ人を「好き」になるのかを理解できていない。

人の何を「好き」になるのかがわからない。

 

 

いや、

もしかしたら説明できない好意こそ

「好き」の真髄なのだろうか。

 

 

 

 

なかなか整理がうまくいかないので、

「好き」と「愛」の関係性が壊れたとき

について考えてみたいと思う。

 

 

 

②「愛してると好きの関係性」

 

 

まずは「愛」について。

 

例えば、

あなたの「愛犬」がある日なくなってしまったとする。

 

これは非常に悲しいことだ。

何が悲しいかというと、

「愛する者が失われたこと」が悲しいのだ。

 

 

けれど、

たとえ愛する対象の存在が亡くなったとしても、

自分のその愛は消えないはずだ。

 

しかし、確かに確実に薄れてはいく。

 

だからその「愛」を

言葉にしたり手紙にしたりするのだ。

 

 

自分がその者を

愛していたという事実を一生涯忘れないために

 

 

このアニメからは、その大切さを教わった。

 

 

 

 

次に「好き」について。

 

「好き」が失われる場面は、

いわゆる「失恋」のときだ。

 

 

告白して振られたとき、

恋人に別れを告げられたとき、

 

そのときにあなたはこう感じるはず。

 

 

「私の好きは報われなかった」と。

 

 

自分の好きが伝わらなかったとき、あなたはどうするか。

 

おそらく「好き」の対象を変更しようとするはず。

 

 

「好き」とは「共感ベース」なのだ。

 

つまり自分の「好き」を

相手がどれくらい受け止めてくれるのか

という潜在数値によって

自分の「好き」度合いも変わってくる。

 

 

ここが「愛」と「好き」の

違いなのだ。

 

 

 

 

 

一方は関係性が崩れても、

その関係性を保とうとする。

 

そして一方は関係性が崩れれば、

新たな関係性を構築しようとする。

 

 

つまり

「好き」は崩壊する

「愛」は崩壊しないのだ。

 

 

経済用語で言えば、

「好き」は取引費用

「愛」は機会費用

 

 

・取引費用の考え方

これまで取引していたA社よりも

安価に取引してくれるB社が現れたら、

取引相手をB社に乗り換える。

 

まさに「好き」と同様の考え方だ。

 

 

 

機会費用の考え方

これまで取引していたA社よりも

安価に取引してくれるB社が現れたが

それでもB社と取引しようとする。

 

まさに「愛する」と同様の考え方だ。

 

 

 

ここで「好き」と「愛してる」をスクエアで見てみよう

 

表面に出す

表面に出さない

好き

告白する(好きは伝わる)

好きは伝わらない

愛してる

愛されていると伝わる

愛されていると感じる

 

この中で、最も生産的な方法・手段はどれか?

つまり「最も取引費用的な考え方」はどれか?

 

 

考えてみてほしい。

 

 

 

この中で最も生産的な手段は、

 

「告白すること」だ。

 

 

なぜなら「YES」か「NO」かがはっきりするからだ。

 

ちなみに「愛してる」の2項目は

どちらも機会費用的な考え方に属するから

生産性云々の考え方の概念がない。

 

つまりは、この問いの選択肢は

4つあるように見えて、

実は2つだったのだ。

 

 

 

③「ヴァイオレット・エヴァーガーデンと永遠」

 

 

「愛してる」と「好き」の違いについては

かなり合点がいったと思う。

 

では、最後に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン -外伝- 永遠と自動手記人形』という映画のタイトルが残したかったメッセージについて伝えようと思う。

 

 

先に申しておくが、これはもちろん個人的な見解だ。

作者の意向との関係性はおそらくないはずだ。

その前提を、ぜひ忘れないで読み進めてほしい。

 

 

 

 

まずは、似て非なる二項を抜粋する。

 

主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンever

永遠と自動手記人形のforever

 

 

 

次に、言葉の意味だ。

 

ever」は一度でも経験したときに使う

forever」は文字通り永遠

 

 

 

この2つの言葉を見て、感じたことはないか?

 

 

 

そうだ。

 

 

 

「愛してる」と「好き」と

関係性が同じなのだ。

 

 

好き」は「ever

愛してる」は「forever

 

 

 

どちらも消えない事実であるが、

関係性の長短に大きな違いがある。

 

 

もちろん

「愛してる」もいつかは消えてしまう。

 

だから、

失くさないように

消えないように綴るのです。

 

 

手紙に残して

 

 

 

関係性を「陸橋」だと思ってください。

 

 

ある橋が壊れて、新たな橋を建設するのは

「好き」の考え方。

 

 

逆に橋が壊れて、その橋を修復しようとするのは

「愛してる」の考え方。

 

そしてその修復に当てられるのが、

他でもない「手紙」という存在。

 

 

 

アニメや映画の中でも、度々こんな台詞がありました。

(手紙)配達人は、幸せを届ける仕事」

「時代が変わっても、変わらない仕事がある」

 

 

「変わらない幸せ」の比喩となっているのが

「手紙」であり、

「愛を伝えるツール」なのだ。

 

 

 

そして最後の最後に、

作者がこの作品を通して

何を一番伝えたかったのか考えてみてほしい。

 

 

僕はこの作品から、こんなメッセージを受け取った。

 

 

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スマホが普及して時代はネットでつながる社会になった。

生活も効率化し時間がより有効活用できるようになった。

しかし何かがない。なにかが足りない。

人の大切さとは何だったか。

人は愛で繋がっているのではなかったか。

現代には愛がない。愛情が足りない。

子どものご飯はコンビニ弁当になった。

言葉の伝達もLINEを介してのやり取りが主流になった。

Amazonから自宅に商品が届くようになった。

けれど年賀状はいつからか届かなくなった。

そして書かなくなった。

「愛してる」を伝える時間はどこにいったのか。

「愛してる」と伝える大切さを伝えたい。

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主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、

自らの愛する人を失った。

 

自分の「愛してる」は

一生届くことはない。

 

それでも彼女は、

誰かの「愛してる」を

その大切な人に届けるという

仕事を続けていった。

 

 

たとえその届け先が

戦場であっても、

どこにいるのかがわからなくても

誰かの「愛してる」を届けるために。

 

 

 

 

 

p.s.

 

本アニメを制作したのは、京都アニメーションです。

先日、大変残酷な悲劇がありました。

そんな中でも、

僕たちアニメファンに「愛してる」を届けるため

映画を上映してくれたのです。

 

何人もの哲学者がなくなりました。

けれど、彼らは「アニメ」という手紙を残して

誰かの心に残り続けるのです