賢者への道ブログ

歴史から学ぶ賢者となり、未来を考える力を養う。

新卒11ヵ月目の社員が、辞表を出したってよ。

「とうまは、ワイン人間である」

 

私は、自他ともに認める変わった人間だ。
では、何が変わっているのか。

 

これについて、
自分が選択してきた過去を振り返り
周りからの評価などを総合すると
「価値観と選択の稀有」だと断言できる。

 

人として複雑性が高いのだろう。
それをワインに例えて、
自分を「ワイン人間」と称した。


私は人生において、

このような哲学を持っている。

 

「白黒理論」


白黒理論というのは

例えば

「自分の好きを知るために嫌いから知る」
「自分の得意を知るために苦手から知る」

そんな考え方だ。

 

この哲学でどこに行き着きたいのかというと、
究極を言えば

「私は私を一番知る人でありたい」
というところに終着する。

 

そのためには自分が

固執した考え方を持っていてはいけない。


周りから見た自分の評価を

鵜呑みにしてはいけない。

 

そうやって、
自分を取り巻く全てを使って
自分をブラッシュアップしていく。

 

そして特に

大きくブラッシュアップできる方法が
「補色(対比)関係にある対象と

過ごしてみること」だ。

 

これこそ「白黒理論」の真髄である。

 


この哲学を持って生きるように至ったのは、
私が18歳で大学受験を控えていた頃

だったと思う。

 

そして、

その形成に大きな影響を与えたのが
カルヴァン『予定説』である。

 

予定説とは、
人は生を授かったその日から
神の救済を得られる者なのか
そうでないのかが決まっている

という考え方だ。

 

つまり人の生き方は、
意識的にしろ、無意識的にしろ、
既に逆算されているという考え方だ。


ちなみに『予定説』と出会ったのは、
私が高校2年生のときに受けていた
世界史の授業の時だ。

 

当時も今も、
自分がキリスト教徒というわけではないが、
予定説に出会ったときは自分の脳に
電撃のようなものが走ったのを覚えている。

 

こうして私は、
予定説で唱えられた
「自分の人生は予め決められている」

という説を自分の人生に

インストールしていった。

 


予定説が、特に発揮できる場面がある。

 

それは、
挫折を味わったり
苦しい経験をしたりしているときだ。

 

ちなみに

予定説をインストールと
このような思考回路になる。


「なぜ自分だけこんな思いを

しなければならないのだ。
苦しい。辛い。
でも、この経験が
自分の人生に必要というわけか。
なるほど。
どうせ味わう苦しみなら、
乗り越えてみせよう。」

 

私はこうやって
高校ではサッカー部でベンチ外から
レギュラーになることができ、
大学でも未経験のボーカルで
未経験のメタルというジャンルで
一度に5バンド組んで
パフォーマンスすることができた。

 

予定説が、

挫折の乗り越え方を教えてくれたのだ。
 

 


『白黒理論』『予定説』と、
これまで自分の人生で大切にしている
考え方・価値観、哲学について

紹介してきた。

 

実は、
これを形成するにあたって
多大な影響を私に与えてくれた人物がいる。

 

GACKT

 

彼と出会ったのも、高校2年生のときだった。

 

その時から彼は
誰もが知る一流の人間であり、
自分に自信がまったくなかった当時の私には
その傲慢を超越するほどに
自信の窺える姿が輝いて見えた。

 

この人に惚れた一瞬も覚えている。

「ビブラート」

 

私は幼い頃から歌うことが大好きで
周りからも歌唱に才覚があると言われていた。

 

けれどアーティストになろうとか、
そういった考えにはならなかった。

 

ただ、
初めてこの人の「Last Song」

という曲を聴いた時、
もちろん音楽の芸術性は申し分なかったが
それ以上に自分にはできないビブラートを
こんなに上手く使っている歌手がいたのかと
そちらの衝撃のほうが強かった。

 

それからは、
自分の苦手だったビブラートを
GACKT氏の曲を聴いて覚えて
歌って録音して聴いて修正して、
本家の歌声を聴いてまた歌ってと、

その繰り返し。

 

ひとりカラオケの経験は
中学2年生の頃からあったが、
GACKTに出会ってからは週5で
ひとりカラオケに行くことも少なくなかった。

 

そして、
23歳になった今でも

ひとりカラオケは続けている。

 

「歌うこと」こそ
自分が成長しているか否かを計る
重要な指針になっている。
 

 

 

 

 

さて、
なぜ今こんな話をしたのかと
疑問に持たれたかと思います。

 

 

みな就活の時に自己分析を
やっていたかと思いますが、
社会人になってからも私は
その分析を継続させています。

 

そして、
ここまで自分について
語ることができるようになったのは、
K社で11ヶ月間

仕事をしたからこそだと
私は思っています。

 

つまり、この文章はK社への感謝の意表です。

 


まだまだ長文になってしまうと思いますが、
以下にK社に入る前、
そして入った後~今に至るまでの
自分についてお話したいと思います。

 

 


 
K社に入社を決めた時、

私はこう思っていました。

 

「ああ、

ここに入社するのは高校3年のときから

決まっていたのだろうな」と。

 

なぜ、高校2年ではなく3年なのか。

 

それは「大学受験」が影響しています。

 

 

当時から私は、
周りとどこか違う人間であると
抽象的にも感覚的にも感じていて、
もちろん進路選択の時にも
その自負みたいなものが強く影響しました。

 

 

「自分は社会不適合者
というわけではないと思うが、
それにしても周りの考え方と合わない。
私は合わなくて当然と思っているが、
社会はなぜこんなにも
合わせよう合わせようとするのか。
そしてその社会通念を
深く刻んでいる大企業とは
きっと私は体質に合わないだろう。
大企業に行く予定がないのであれば、
自分の学歴に大学ブランドは必要ない。
ならば大学の4年間はいかに

コストを掛けずに卒業できるかを考えよう。

そして家から近い国公立の大学を目指そう。」

 


こうして
私の大学受験は始まったわけですが、
結論を言うと

国公立の大学には進学していません。 

 

国語の現代文の点数が著しく悪く
一次試験で落ちました。

 

その時
自分がどれだけ絶望していたのかは、
まるで幽体離脱していたかのように
鮮明に覚えています。

 

自暴自棄になり、
大学進学を辞め音楽の専門学校へ通おう
とまで考えました。

 

その時、
母がある大学の資料を持ってきました。

そこには「スカラシップ制度」と
書かれていました。

 

「学費免除」枠での入学試験です。

 

このときにも、あの説がよぎります。

 

「ああ、国公立に落ちたのは
こういう進路に進めってことだったのか。」


こうしてセンター試験が終わり
一般試験の始まる1ヶ月もの間、
今まで勉強する必要のなかった
「世界史Ⅱ」を含めて猛勉強しました。

 

そして、無事スカラシップ生として合格。

 

ちなみにこの制度は
一年ごとに審査が入り、
前年の成績が学部学科内で

上位10%以内でないと
翌年は免除されないというものです。

 

いわば営業職で言う

「予算」みたいなものです。

 

 

大学では、白黒理論のオンパレードでした。

 

経済学部だけど経営学科、
受講するのは取りやすい講義ではなく
難しくても自分が学びたい講義を選考、
ゼミは学科とは無縁な文学系の
しかもゼミの先生の専門は英語、
ゼミでの卒業論文

英語にも文学にも値しない
フェアトレードという平和研究、
ゼミの先生には
「私ではあなたを見きれない」と言われ
その学問に精通する教授のところへ

夢者修行の旅、
部活動は12年経験したサッカーではなく
全く無縁だったメタルバンドのボーカル、
日常では受験でコケた現代文の克服のため
大嫌いだった読書を始める。

 

大学での4年間は、
ストイックにダイバーシティな経験が

できたと思う。


ちなみに
僕が読書の鬼となるきっかけを作った本は
7つの習慣』という本でした。

 

大学2年のときの就活講座に来た
外部の人が紹介してくれた本でした。

 

内容をざっくり説明すると
「成功する人が実践していること」です。

 

その成功例は10や100では飽き足らず、
何千何万もの成功者の習慣を
最小公倍数化して傾向を見出した本が
この「7つの習慣」なわけです。

 

その頃からですかね、
「成功したい」とか「成功するためには」とか
について考え始めたのは。

 

 


そんなこんなで、就職活動の時期が来ました。

 

スカラシップ制度を

4年次でも継続させるために、

学業をしながら就活をする
ということはしませんでした。

 

その代わり、
試験の終わる次の日の2月1日から
就活一本に集中しようと決めていました。

 

このときも相変わらず、
王道を嫌い邪道に走りました。


周りは就活をまだ始めていなかったり、
マイナビ経由で企業を選んでいたり、
学内の就活支援センターを

使っていたりしました。

 

もちろん、

僕もマイナビには登録していました。

 

しかし、登録していた理由が違います。

 

ここに掲載されている
自分にとってどうでもいい企業で、
最短で面接を自分に経験させてくれる
そんな企業に応募しまくりました。


3月はそんな感じで
場慣れに時間とお金を使い、
4月はグループディスカッションを
開催している就活セミナーに
週3で参加しました。

 

そこで出会ったのが
「就活エージェント」であり、
K社に入社するきっかけを作ってくれた
R社でした。

 


担当の人は
「とーまくんはどういう企業を探しているの?」

「どういうキャリアを積みたいの?」など
私が私を知るきっかけとなる質問を
次々と投げかけてくれました。

 

そうして一本の価値観に出会います。
「とーまは成長志向である」


もちろん、

成長できるなら何でもいい
というわけではありません。

 

「白黒理論」 

 

「自分が嫌いとか苦手とか
きついと思う仕事経験がしたい」
と伝えました。

 

それはどこで叶えられるのかと聞かれたので、
私は「営業職」と答えました。

 

そうして
営業のプロフェッショナルが集まるK社に
場違いのごとく入社したわけです。

 

入社して11ヶ月が経つ今、
ここでの経験はあまりに濃い時間だったと

感じています。

 

自アポ自営や飛び込みを経験し、

テレアポをやり
商談作りも短期ではありますが経験しました。

 

営業のワンフローをたった1年の間で
すべて経験できてしまったのです。

 

さすがベンチャーだと、
1年前の自分の選択に拍手喝采です。

 

そして苦手意識のあった営業で、
偶然か必然か予算達成を
することができましたし、
ランクアップもしました。

 

 

こうして
これからも予算を達成していき、
主任になり、課長になり、、、

 

 

 

 


いや、どこまで行くのか。

 

 

 

 

これがずっとひっかかっていました。


こんな疑問を持ったのは、
1月の稼働が終わり
自分の月間粗利を振り返ったときに

「先月は達成できたのに
なぜ今月は達成できなかったのか」

を考えたときでした。


結論を言うと

「学生時代に自分が苦手だと
感じていた営業職で成果を出す経験ができ、
自分は社会人においても
苦手を克服することが
できる人間であることを証明できた」

ということに気づいたのです。

 

つまり、これ以上K社で働いて
証明したい命題が自分にはないことに
気づいてしまったのです。

 

 

 

長くなってしまいましたが、
この文書は私の

「退職決意表明」でございます。

 


もちろんK社が嫌だからとか
上司が嫌だからなどという
ネガティブなものではありません。

 

むしろK社で働いたからこそ
Kさんを含め、SさんやKさん、
FさんやKさんが
自分と同じK社で仕事を一緒に
してくださったからこそ、
自分は営業マンとして
予算を達成することができ、
入社当時の目的を果たすことができたのだと
心の底から思っています。

 


ただ、
この理由だけでは
辞めるわけには参りません。


なぜなら
次に自分がやりたいこと、
目標とすることが不明確だったからです。 

 

 

この自問自答に悩みすぎたことも、
1月の予算が未達で終わってしまっ
た原因であると振り返って思います。

 

当然、
もし今も何がしたいのかなどと

自分の目標に悩んでいる状態であれば、
おそらくこのような長文を起こす
ことには至らなかったでしょう。

 


自分なりに今後の人生設計をし、
今なら胸を張って伝えられると思ったので
お伝えさせていただいております。

 

 


さて、
またも長文になってしまうかと思いますが、
今後わたしがどのような人生を
歩んでいきたいと思っているのか、
そのすべてを以下に記していきます。

 

 

 

おそらく
私が何をしたいと言い出すのか
大枠お察しのこととは存じますが、
それを承知の上で結論から申し上げます。

 

SDGsを達成したい」

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あれは確か

入社前に青の会議室で、
社長の前での出来事だったかと思います。

 

将来の夢を聞かれたときに
「浜松か名古屋で暮らしたい」と
答えたことを覚えています。

 

その時は、
「富士山の東側で暮らすには
地理的リスクが高いから」という
わけのわからない理由で
場を凍りつかせましたが、
もちろん本音は違います。


実は、
名古屋と浜松は日本に5つしかない
フェアトレードタウン認定を
受けている街なのです。

 

SDGsについては
フェアトレードを研究しているときに知り、
市民が一眼となって途上国の発展に
寄与しようとする運動を続けているその姿に、
私は感銘を受けました。

 

ちなみに
SDGs」について知ったのも
フェアトレードを研究しているときでした。

 

しかもその年に
大学が「SDGs達成に寄与する」を宣言し、
しかも研究していたフェアトレード
SDGsの達成に大きく寄与するという
なんとタイムリーなこと。

 

このときにも
アハ体験ならぬ

「予定説体験」が起こりました。

 

 


閑話休題


入社した当時は、
正直こんなに早くK社を辞めることに
結論づくとは思いもしませんでした。

 

これからもK社は
どんどん大きくなっていくでしょうし
このままK社で働き続けることで
どんな恩恵や経験ができるのか考えても
大変惜しい決断ではあります。

 

しかしその恩恵や経験も、
結局は自分が人生で叶えたいことや
達成したいことに活かすことができなければ
全く不毛なものとなってしまいます。

 

もちろん
営業の経験やスキルは
社会のどのフェーズに行ったとしても

活きます。

 

これからの時代、
AIが社会を席巻し
人間の仕事を代替していく中でも、
営業という仕事はおそらく残り続けます。

 

しかし、
そんな辞める・辞めない

という損得を考えても、
私の退職決意はゆるぎませんでした。

 


このサンクコストについて考えたときに、
またもあの疑問が浮かびました。

 

 

「成功とは何なのだろうか」

 

 

3年前と同じ疑問にループしていました。

けれど、もちろん前進しています。

 

あれから3年、
いろいろな本を読み
いろいろな人と出会い
いろいろな社会体験もしてきました。

 

そんな3年を含めた
23年間を生きた私が
「人はなぜ成功したいのか」

について考えた結果、

「人は幸せでありたいのだ」

という結論に行き着きました。

 


非常に普遍的でしょうか?

いいえ。

 


「幸せ」が普遍的で、
誰でも簡単に手に入れられるのであれば、
人がこんなにも「幸せ」や「成功」について
暗中模索することはないでしょう。

 

つまりこの
「人間は幸せになるために生きている」
というのが
「なぜ人は成功したいのか」
に対するアンサーだと私は考えています。

 

 

 

幸せについては、
非常に多面的にみることができます。

 

愛する人とともに過ごすこと」
「ペットと戯れること」
「会社を大きくすること」
「誰かにすごいと言ってもらうこと」
「お金をたくさん稼ぐこと」

どれが間違いということはありません。
すべて正解なはずです。

 

 

ただ、
人が幸せにならない・なれない方法が
一つだけあると私は考えています。

 

それは
「自分の幸せのカタチを
他人に押し付けてしまう
または押し付けられてしまうこと」
です。

 

つまり

「価値観の強制」が
それに値するというわけです。

 

「俺はこう思うからお前もこうしろ」だとか
「私はこう思っているのだから
あなたもこうして」だとか

こんな日常でも飛び交いそうな会話は、
単なる「価値観の押しつけ」に過ぎない
つまり「人を幸せにしない」と
私は思っています。

 


「人はみな、幸せになりたい」

これは
人間であれば共通の観念であるはずなのに、
しかしながら自分が不幸であるがために
誰かを不幸にして相対的に
自分を幸せにしようなどと考える人は
山ほどいます。

 

だからこそ私は、こう思ったのです。


「自分の中の幸せのモノサシを持とう」

 

 

 

話が少し変わりますが、
人間にはこれまで地球上の全員で
取り組まなければならない「喫緊課題」
というものが存在していませんでした。

 

「でした」と言うのも
今はその課題が存在しているという意味です。

 

世間では「プラネタリーバウンダリー
などと呼ばれていますが、
地球人は現在「地球限界」に
達しようとしています。

 

 

残念ながら、
このような事態を引き起こしたのは

先進国であり
我が日本もその一国である

ということからは
目をそらすことができません。

 


そもそも「資本主義」は
「リニアエコノミー」を
根本的な考え方として持っていて、
資源が無限にあり、
そこから排出されるモノは
自然がなんとかしてくれるという、
非常に社会的責任のない思想であると
私は感じています。

 

その結果、
我々は近い未来
プラネタリーバウンダリーを 
迎えようとしています。


しかし私は、
この現状について悲観的になっていません。

 

なぜなら人間には、
歴史の中で何度も
産業革命を起しているという実績があり、
その全て「幸せのため」であるからです。


さあ、
この大きなイノベーションが必要な時代で、
大きな役割を果たすのが
「SGDs」だと私は確信しています。

 

17の目標を
誰かが達成するのではなく、
地球人全員で達成しよう
という指針なわけですから。

 

これを達成した時、
地球人の多くは今までにないほどの

「幸福」を手にすることができるわけです。

 

 

 

SDGsでも評されている
「誰一人取り残されることのない世界の実現」

このために、
私は20代の時間を費やしたいと考えています。

 


しかしこんな大きな目標を、
一個人の私の力で達成させようというのは
無謀に近いです。

 

なので、
これもSDGs的な考え方ですが、
私はこれからの人生で
インクルージョン(包摂)」を
大切にしていこうと決めました。

 

そのために、
仕事から生活まで
すべての時間をSDGsに費やし、
その価値観をインストールし
習慣化して生きていきます。

 


では、

どこでそれが叶えられるか。
そんなことは私ではわかりません。


私でわかるのであれば、
世界の優秀な人たちが
もう既に実践していることでしょう。

 

しかし私が思うには、
あらゆるステークホルダー
最前線で繋がれる仕事によって
叶えることができるのではないか
と考えています。

 

この命題こそ
自分か人生で証明したい命題であり
それを証明することは
SDGs達成に大きく近づくこと
だと考えています。

 

特にSDGsの場合、
自治体やNPO法人
近い関係にあればあるほど、
その線は広がり太くなっていきます。

 

これは、
NPO法人で2年間活動を続けていて
感じた実体験です。

 

むしろ
ここに飛び込まない・飛び込めない
民間企業には、
イノベーションを起こすことは
できないでしょうし、
故に永く存続することもできないと
私は考えています。

 

 

 

 

内容を詰めすぎて、
本題からそれてしまうのが私の悪い癖です。


要約すると、
K社を辞めてから自分がやりたいことは
「生活から仕事まで、
すべての時間をSDGsに費やすこと」です。


もっと明確に目標を立てて
逆算して描いたほうがいいかもしれません。

 

しかし時代の流れが早い昨今、
自分の思い描くストーリーが
そのまま通用するとは到底思えません。

 

そして、
結局自分の目標が達成できたかどうか
その答え合わせは、
2030年にならないとできないわけです。

 

そのためにどんな知識が必要なのか。
どんなテクノロジーが必要なのか。

 

それは実際に企業に所属して
働いてみないことにはわかりません。

 

探しながら、
気持ちいいところを見つけていきます。

 

 


それもまた、自分の人生ですから。

 

 

8000字にも及ぶ長文をお読みいただきまして、
ありがとうございます。


以上を以って、
退職の意思表明とさせていただきます。

ぜひ、私の生き方を

尊重していただければと存じます。